中年無業者と炎上女優

僕には死にたい夜が無い。ただ面倒な朝だけがもんわりと続いている。どちらも死んでしまえば解決するような気がするが、どちらかというと後者の方がひどい状態にあるのではないかと思う。

悲しいことやツライことや忘れたい事がある時、通常は日常の忙しさの中に埋没していく、というような事になるのだろうが、残念ながら僕は忙しくない。昼間の公園で日向ぼっこをしながらボーッと考えている。他にやるべき事もやりたい事も特にない。

 

ニートにも定年がある事をご存知だろうか。厚生労働省の定義によるとニートは「 総務省が行っている労働力調査における、15~34歳で、非労働力人口のうち家事も通学もしていない方」ということらしいので35歳からは「ニート」ではない。

それなら35歳以上の「元ニート」はなんと呼ばれるのか。調べてみるとどうやら「中年無業者」らしい。えっ…いきなり名称の絶望感爆上がりしすぎじゃない…?と少し引いてしまったが、他に特に良い名称は見つけられなかった。

僕は「中年無業者」になった。

 

ワラサがブリになる時に本人の意識が変わらないように、中年無業者になった僕にもその自覚は無い。呼ばれ方が変わっただけだ。 ただ、今年の誕生日を迎えた時に僕は國府田マリ子のあのコピペを思い出した。

「國府田マリコのおっかけをやって10余年が経過した。」から始まる有名な文章だ。「國府田マリ子のおっかけをやっていたせいで空っぽの30代になってしまった。おっかけは何も生み出さない」というような内容なのだが、僕は昔からこの話には違和感がある。

國府田マリ子のおっかけをやっていなければ空っぽの30代にはならなかったとなぜ言い切れるのですか?という疑問がその違和感の源だ。おっかけをやっていなくても空っぽの30代にはなるし、むしろこの場合そうなっていた可能性の方が高いような気がするのだ。

もちろんコピペ内でも言及されているようにアレは「グチ」である。グチを言いたい時もあるだろう。それはわかる。それでもあの文章の根底に「おっかけをしていなければ良い人生になっていた」という確信めいたものが感じられる。僕はそうは思わない。僕には工藤遥のおっかけをしていなくても空っぽの30代になっていたという自信がある。

 

僕がボーッと35歳になっている間に工藤遥SNSの更新は止まった。二度ほど立て続けに炎上したからだ。特撮の仕事が終わってからいくつか新しい仕事が発表され、CMにも出演するタイミングでの事だった。インターネットの片隅に工藤遥が「炎上女優」と書かれているのも見た。

僕は「炎上」には詳しくない。「炎上」したこともさせたことも無い。あんまり興味が無い。例えば仮に殺人を犯した芸能人がいたとして、その人物がネットで叩かれてもそれを「炎上」とはおそらく言わないだろう。多くの「炎上」はくだらない事がきっかけで起こるのではないか。だとしたらアレは確かに炎上だろう。

遊園地の車のボンネットに乗って写真を撮ったのは確かにそこそこ悪いことかもしれない。しかしちゃんと謝ったら許されるような事でもあると思う。実際この件については謝罪した後SNSの更新は続けていた。

ミルクティーの件に関しては本当にくだらないなと感じた。これに関してはCM絡みでスポンサーがついていたのが事が大きくなった原因で、芸能人は大変だ、という感想しかない。でもそれが彼女の商売である。ミルクティーを飲む男が嫌いだ、という意見を引っ込めることで得られる利益があるならばそうするのが正しい時もあるのだろう。たとえどれだけくだらなくても。僕にはよく分からないけれど。

個人的には「ミルクティーを飲む方に対する配慮に欠けた私の発言により」というブログでの謝罪文が妙に面白かった、というだけの事件だった。

工藤遥がどちらかというと炎上体質である事は間違いない。工藤遥は調子にノリやすいヤツだ。根が川口のヤンキーなのだ。川口のヤンキーは車のボンネットくらいには乗る。僕は彼女のそういう所が好きだ。彼女のそういう所が嫌いだ、という人がいることも理解は出来るが少なくとも何年も前のブログを掘り返して叩くような事でもないんじゃないだろうか、と思う。

炎上自体への評価はともかく、それがきっかけで工藤遥がブログを含めたSNSをほとんど休止状態にしたのは事実だ。彼女はモーニング娘。にいた頃から非常に頻繁にブログを更新していたので、このような事態は工藤ヲタにとってほとんど初めての体験である。悲しんでいる人が多いが正直言って僕はなんだか少しホっとしている。過剰に膨らんだ幻から少し離れるきっかけが得られたと思った。

 

そんな事を言っていたら「もうそんなに工藤遥の事を好きじゃないんじゃないか」と言われた事がある。

確かに最近工藤遥の事をそんなに沢山はツイートしない。工藤遥の事を考えている時間も減っていると思う。新しいアイドルグループを見に行く事も増えた。工藤遥の時と決定的に違うのは女性として好きにならないように気をつけながら行っているという事だ。言い方は悪いがその程度の気持ちでしかアイドルを見られなくなった。「その程度の気持ち」を保たないとアイドルが見られない。不安だからだ。

デビューしたばかりのアイドルは新鮮で面白いし、歌やダンスの実力があったり楽曲が好みのアイドルには目を引かれる。そういうものを基準に見るアイドルを選ぶようになった。しかし僕はこれを「健全なオタク」だとは全然思わない。もっとこう腹の底から溢れ出してくる何かが無いとダメなんじゃないのか、と思う事がある。少し真面目過ぎるかもしれないが、僕は本当にそう思うのだ。

そんな折、工藤遥が出演する朗読劇を見に行った。その劇では最後に主人公を演じる俳優と工藤遥が抱き合うシーンがあった。僕はそれを見て「…ファッ!」という声を思わず出してしまいそうになり必死で圧し殺した。手にした借り物の双眼鏡を握りしめて硬直した。まだそんな感情になる自分にびっくりしたが少し嬉しかった。僕はまだ人間の心を持っているのだと思った。

そんなに無理をしてまでアイドルを見る必要はないと思うし、実際に他の趣味に充てる時間も増えたが、結局の所なんとなく付きまとう寂しさに勝てない。僕は誰かを好きになりたいんだと思う。「そんなもの身近に誰かを探すべきだろう」という正論を言われる事がある。そんな時、僕はいつも火垂るの墓の清太のセリフが頭によぎる。「栄養失調を治すには滋養をつけるしかない」と医師に言われた時の清太のセリフだ。「滋養なんて、どこにあるんですか!」

 

2月に開催された工藤遥のソロイベントでのMCを聞いて僕は「工藤遥が僕(たち)が見たがっている幻を見せようとしてくれている、少なくともそうなるように努めている」と感じた。何を言ったのかはあまりよく覚えていないがそう感じたことははっきりと覚えている。結構直接的にそう言っていたような覚えがある。そのソロイベントに伊藤あさひ君が来ていた事を知って頭がパッカーンとなり酒を飲みすぎてしまったのはまた別の話だ。

工藤遥が作り出した幻は工藤遥自身にもある程度は見えている。人間工藤遥はそれに影響される。彼女自身が幻に影響され、それを調整する。僕もそれを受けて彼女の幻を作り上げて調整する。それがどこかでピタリと一致する事がある。それは非常に安定した状態で、安定した状態を「幸せ」と呼ぶのなら、それは幸せの形の一つだと思う。

完璧に一致させるのは難しいし、維持するのは更に難しい。僕は今の所それは人間には不可能なのではないかと考えている。でも僕はそれをやろうとする人間の事が好きだ。その幸せの形が見てみたい。

 

工藤遥SNSを更新しなくなってからしばらく経ったある日、僕は思い立って丸めたままだった工藤遥のカレンダーを部屋に掛けてみた。悪くないな、と思った。僕は工藤遥のカレンダーを自宅の壁にかけても胸が張り裂けそうになって苦しまない人間になっていた。

はっきり言って面倒な事の方が多い。工藤遥の事だけ考えていられた時の方が「幸せ」だったんじゃないかと思う事もある。そしてそれはある程度正しい。人生というのはこんなにも面倒なものだったのだ。

 

この6年間、僕はただ幻を追っていた。それは事実だ。でも僕自身も工藤遥自身も実はそこに存在していた。人間の僕らがそこに、ちゃんと。ならばそれは徒労ではない。

僕は工藤遥の夫にはなれないだろう。誰の夫にも父親にもなれない可能性が高い。社会的に偉い人にもなれないだろう。暗い底辺を這いずり回るように生きる事しかできないかもしれない。明日死ぬ可能性だってゼロじゃない。でも、それでも、良いんじゃないか。

僕に幻を見せようとしてくれた工藤遥という優しい人間がそこにいて、僕はそこで生きた。それだけで結構な事なんじゃないか、と今は思っている。

これからも工藤遥がどこかで笑っている世界に僕は生きていたい。そして願わくば僕も、誰かに笑ってもらえる優しい人間になりたい。

 

 

まあでもたまには姿を見たい。握手もしたい。バスツアーなんかもあったら行きたい。飲み屋で一緒に飲めたらそれはかなり楽しいと思う。希望を持つのは自由だ。僕はどこかで野垂れ死ぬまで幻を見続ける覚悟を固めた。バッチコイ。

 

オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな このはてしなく遠い中年無業坂をよ…

未完

 


モーニング娘。 『いいことある記念の瞬間』