誕生日の朝

救急搬送された病院のベッドで医師から「脳に影がある、おそらく脳腫瘍だろう」と最初に聞かされた時、僕はそんなにショックを受けませんでした。頭が真っ白になったというワケではありません。かなり酷い頭痛がしていたので「検査なんて後でいいから早く痛みを止めてくれ」と思っていた、というのは少しあるかもしれませんが、しかしそれだけではなく冷静な判断として「まあそういう事もあるかな」という感想でした。このタイミングで死ぬのも別に悪くないな、と思ったのを覚えています。

人が「死にたくない」と思うのは何か大事なモノがあるからなんじゃないかと思っています。家族とか恋人とか好きなモノとか見たいモノとか思想とか信条とか、自分にとって大事なモノが。僕にはそれが無い。よつばと!やHUNTERXHUNTERやワンピースの最終回や、工藤遥の結婚相手や、今後ドロップされるドープなエロ動画などは僕も気になりますが、そういう「気になるモノ」が一切なく死ぬ人はほとんどいないと思いますし、そもそもそれらは僕にとっては「見られないなら見られないで仕方ないな」という程度のモノです。もっと強く「自分が今死んだらあの人はどうなるんだ、アレはどうなるんだ」というモノがある人が「死にたくない」と思うんじゃないかな、と感じるのです。両親は悲しむでしょうし、親より先に死ぬのは忍びないという気持ちはあるのですが病死では仕方がないし、僕が死んで両親がすごく困る事はないだろうと考えています。年金が生活出来るくらいには出ている世代だし、妹夫婦や親戚との関係も良好です。両親の他には親しい友人の何人かは悲しむでしょうが、その悲しみで彼ら彼女らの人生が変わるほどのインパクトはないでしょう。入院費用や葬儀代は保険と貯蓄で賄えるし、そういう意味では僕は「いつ死んでもいい」というかなりヤクザでロックな境地に達しています。ヤクザでもロックでもなんでもないのに。

こんな風に書いていると誤解されてしまうかもしれませんが僕は「死にたい」ワケでは全然ありません。というよりもむしろ平均的な人より「死にたい」という気持ちが少ない方だと思います。生まれてこの方一回も本気で「死にたい」と思った事がありません。「死んでみようかな」も「ここから飛び降りれば死ねるな」も「死んでみたらどうなるだろう」もありません。生きれるだけ生きたいといつも思ってきました。貧乏性なのです。見れるもの、やれる事はとりあえず生きていればなにかあるはずで、それがどんなに見たくないものでも見ておいた方がお得な気がします。食べ放題バイキングには時間ギリギリまでいたいのです。例え追加される料理がどんなにまずくても「これ不味いなあ」と思えたなら「それが不味い」という事が知れてお得じゃん、そう思って生きています。もちろん次に追加される料理がめちゃくちゃ美味い可能性だってあるワケですし。とはいえ、食べ放題には時間制限がある。その時間制限がやって来たらお会計して帰るしかないではないですか、とそう思っているだけです。

診断の結果、僕の脳腫瘍は「おそらく良性の髄膜腫だろう。出来ている場所も悪くないしただちに命に別状はないと思われるがサイズが大きい上にまだ若く今後ほぼ確実に手術する事になるので早めに手術した方が良いのではないか」という事でした。今月末には手術の予定です。医師の説明や自分なりに調べた感じでは、まあほぼ死にはしないだろう、とは考えているのですが「実は超珍しい悪性でした~パターン」はあり得るので一応死んだらどうしようかな、と考えたのですが「別に死んでも問題ない」という結論に達してしまい、このようなブログになってしまいました。

 

 

というワケで34歳なぅなぅ~~~。12年間連続で誕生日に「誕生日の朝」というタンポポの名曲のタイトルを拝借してブログを書いていて、それを毎年読み返しているのですが、まあしかし毎年毎年誕生日周辺にはろくなことがありません。去年は工藤遥が卒業を発表してるし、2015年には誕生日当日にパトカー乗ってるし、その他の年も大体ろくな事になっていません。誕生日以外もろくなことなんて基本的に起こっていないので当たり前といえば当たり前なのですが。今年も誕生月早々開頭手術という事でなかなかのろくなもんじゃねぇ。ぴいぴいぴいぴいぴいぴい。

youtu.be

良性の髄膜腫というのはどんなに進行が早いものでもせいぜい一年に1センチくらいしか大きくならないようなのですが仮に僕の脳腫瘍が医者の見立て通りそれだったとすると、ちょうど工藤遥に恋をしたのと同時期に脳に腫瘍ができたという事になります。工藤遥への恋は脳にできた腫瘍が見せたロマンチックな夢だったのではないか、というような気もしてきます。 工藤遥に名前を覚えられてなくて自暴自棄になってた2013年9月には既に脳腫瘍が…と思うとなんとなくロマンチックですよね。

中島(@nksm777)/2013年09月/Page 2 - Twilog

おかしいとは思ってたんですよね、僕がこんなに人を好きになるワケないと思ってたんですよ。救急車を呼んだ時、ギリギリまでどうしようか悩んでいまして。なにしろ病院嫌いなもんで限界突破するまで病院には行かない方なのです。そんな僕が救急車呼んだ理由は「くどうはるか」が発声出来なくなったから、ですからね。軽い言語障害が出てたのは気付いたんですけど、その程度が分からなくて寝不足で混乱してるだけかと思ってたんです。それなら救急車呼ぶほどじゃないかな、と思って激しい頭痛にせんべい布団で耐えていたのですがふと発音してみた「くどうはるか」が出ないのはおかしい、これは重篤だ、と思って119番に電話したんですよ。結局電話で自分ちの住所言うのも怪しいくらいだったんでアレは救急車呼んで良い状態だったとは思うんですが、その判別がすぐに出来たのは工藤遥のおかげです。ふと「くどうはるか」を発音するクセがあってよかった。工藤遥に命を救われたようなもんですよ。僕は工藤遥に命まで救われてしまいました。あなたに会えて良かったねきっと私。脳腫瘍が見せた夢が僕を生かそうとしています。僕の腫瘍はかなり大きい方らしく(4センチ強ある)医師から「こんなに大きくなるまでなんにも気付かなかったの?」と言われたのですが、それも脳腫瘍が空気を読んで工藤遥が卒業するまでは症状出さないでおいてやろう、と思っていたとしか思えません。いや、まあ脳腫瘍は僕の一部なのでそれも含めて僕の意志ではあるのですが。

救急車呼んだ時は当然脳腫瘍があるのは知らなかったので脳梗塞的なモノだと思ってて、言語障害は今後一生続くと思い「あー、もうアレ、アレ、なんだっけな、アレ、あの、握手、握手会、アレ行けないのかなあ」と思いながら救急隊員を待ってた覚えがあります。結局言語障害は一時的なものでその後に行われた工藤遥のハルカメラの握手会に行くことが出来ました。握手では「いやー、脳腫瘍が出来てしまいましたー」みたいな事を言ったんですけど普通に噓だと思われました。その時の言い方も軽すぎて良くなかったんでしょうけど、今までの行いが相当悪かったんでしょう。面白いと思って「昔ヴィレバンで働いてた」とか「3歳で天狗にさらわれて天狗に育てられてた」とかすぐにバレる噓ばかり5年くらいついてた自分が悪い。その後知り合いの握手券いっぱい持ってる人が「ネタがないから」という理由で僕の脳腫瘍が本当だって事を説明してくれたみたいで一応脳腫瘍になりましたー、みたいなウソで気を引こうとする厄介なヤツだと思われなくて済んだ(と思う)ので良かったのですが、危うくヤバイヤツになってしまう所でした。まあ、本当だとしても脳腫瘍になって握手会に来てそれを報告してるヤツヤバイですけど。

開頭手術をするのはもちろんはじめてなので、手術の傷跡とかどういう感じになるのかなー、シブイ刀傷みたいになるといいなーと思いちょっと画像検索してみたのですが、その時に偶然見つけたブログの人の初期症状が結構僕に似てて少し読んでみたんですよ。最初から順に読んでたんですけど、途中から雲行き怪しい感じになってきたので、あれ、この人今どうなってるんだろう、って最新の記事にしたら「筆者の妻です。夫の葬儀は・・・」っていうよく見るパターンのヤツになっていました。

lily100100.blog.fc2.com

よく知らなかったのですが、こういう「闘病ブログ」ってひとつのジャンルになってて、アメブロなんかには専用のカテゴリーがあってランキングとかもあり、気持ちわりぃなあと思いながらいくつかチラっと読んでみました。ほとんどの「闘病記」作者に配偶者や子供がいる事に気が付きました。独身のおっさんの闘病記ってほとんどないんですよ。「これ絶対泣けるランキング狙いの創作だろ」ってのも結構あるので、それに関しては「家族がいた方がドラマやエピソードが書きやすいしこういうの読む層にウケそう」という事でそうしてるんだろうなー、というのは思ったのですが、リアルな闘病記にも単身者は少ないんですよね。なんでかなー、と考えて恐ろしく単純な恐ろしい事実に気付いてしまったのですが「独身のおっさんは病状が悪化したらブログが書けない」からなんじゃないですかね。当然死んだら書けないですし。万が一僕の病状が悪化したら「孤独なおじさんの闘病記」というニッチな市場を狙いに行こうと思います。死んだ後のブログは自動投稿でやれば問題ないでしょう。天からとどけ!彼女になりたい!

 

ニートの定義的に34歳の今年がニートと名乗る事ができる最終年らしいのですが、ニート最後の年は静養する事になりそうです。ここ5年間の「工藤遥への恋編」としか言いようがない人生の一編を共に駆け抜けた脳腫瘍君とオサラバして静養します。グッバイ相棒。失恋した女性が髪をバッサリ切るような気分、と言うにはいささか開頭手術はグロテスクですが、なんとなくスッキリした気分なのは確かです。今年はスッキリ静かに暮らして来年の誕生日からただの無職になる。35歳過ぎてからがグランドラインですよ。億超えの無職がウヨウヨいる新しい海に漕ぎ出します。ただの無職に、俺はなる!(ドン!)