特撮ヒロイン工藤遥について

テレビ朝日の特設ステージでトークショーを行う工藤遥は僕を見ず、僕も工藤遥を見ていなかった。工藤遥はヒーローショーを観に集まった幼児達や司会や共演者を見た。僕はぼーっとどこか虚空を見つめたり、工藤遥と同じように集まった幼児達を見ていた。

普段の生活で幼児と接する機会は無い。こんなに大勢の幼児を見たのは自分自身が幼児だった頃以来だ。一通り幼児達の新鮮なリアクションを確認した後、その親達も見た。おそらく僕と同じくらいの年齢だろう。トークショーの終わりに客席に降りてきた工藤遥は幼児達と嬉しそうに触れ合い、僕はそれを茫然と眺めた。人形を2つ握りしめて。僕はそこにいてはいけないような気がしていた。

 

トークショーに行く2ヶ月ほど前、僕は脳腫瘍の摘出手術を受けた。手術の後、全身麻酔から目覚めた僕は医師から簡単な検査を受けてHCU(高度治療室)に入れられた。比較的重篤な患者が大部屋に集められ、24時間体制で看護師や医師が常駐している。一晩中ベッドサイドモニタのアラームがあちこちで鳴り響きカーテンで仕切られただけの隣のベッドからはうめき声が聞こえる非常に不快な場所だった。

手術直後で頭と顔が腫れていたためにメガネもかけられず周りに何があるのかもよく分からない僕はただうめき声と看護師の走り回る音、ピーピーうるさいアラーム音を聞きながら眠っているような起きているような状態で過ごした。

寝返りを打つと下半身に違和感がある。どうやら尿道にはカテーテルが通っているようだった。これも不快だ。さらに不快だったのは頭に刺さっていた管から流れ出る赤黒い液体が傍らにあるビニール袋にドクドクと溜まっている事に気付いた時だった。ドレナージと呼ばれる処置で要は廃液処理だ。

頭の管を邪魔くさそうに触る僕に気付いた看護師が「余分に溜まる髄液を排出しているのだ」と説明しはじめたが、ちょうど痛み止めが切れたようで頭に激痛が走りそれどころでは無くなってしまった。僕は痛み止めを頼みそのまま眠った。

次に目を覚ましたのは隣のベッドで一晩中うめき声を上げていた男性が一際大きな声を上げ、ベッドがどこかへ運ばれていく時だった。彼が運ばれたのが手術室なのかICUなのか分からないがとにかく病状が悪化してどこかへ運ばれた事だけは分かった。

若い女性の看護師がやって来て僕の身体を拭いた。僕はその感触をどこかで味わった事があるような気がして記憶の迷路を辿ったが、辿り着いたのは御徒町の韓国アカスリだった。僕の頭の記憶の迷路、どうしようもない。ナナという名前の妙齢の女性のことを僕は思い返していた。このサービスが付いて健康保険で実質無料!3食付いてるしお安い!と思いながら数分間身体を拭かれたが性的な興奮は全く無かった。ただ頭が痛かった。頭がすごく痛いと性的衝動が蘇らないんだなあ、とぼんやり思いながらただ身体を拭かれた。

腹が減っているのを感じて身体を拭かれながら「すいません、腹減ったんですけど食事って食べられるんですか?」と聞いた。看護師は朝食までまだ1時間ほどあるが食べられるようなら食べて良いので用意すると答えた。どうやら数時間ほど眠っていて今は早朝らしい。HCUへの携帯電話の持ち込みは禁止だったので何時なのか把握するのに難儀した覚えがある。

1時間後に出てきた朝食を僕は痺れる右手で箸を持ち強烈な頭痛に耐えながら全て平らげた。数時間後には尿道のカテーテルを引っこ抜かれて(非常に不快だった)点滴を引き摺りながらトイレに行けるようになった。その数時間後にはドレーンも抜かれた。管が入っていた頭の穴はホッチキスで雑に止められた。

HCUには丸二日勾留された。携帯持ち込み禁止で特に暇つぶしも用意していなかったその間はぼーっとして過ごしていたが工藤遥の事は特に考えなかった。ただ痛みに耐えメシを食い眠った。そこでは「工藤遥」ではなく痛み止めの点滴と食事と睡眠が僕に必要だと感じた。工藤遥に願った所で彼女が僕のためにホームランを打ってくれるワケではない。ベーブ・ルースにホームランを打ってもらえなかった病気の子供も沢山いるだろう。願っても叶わない事の方が世の中には多い。HCUではそう思う。しかしアイドルの現場では願えば叶うような気がしていた。人は幻を見たがる。

一般病棟に戻る事を許可された僕は車椅子に乗せられてHCUを突っ切ってエレベーターに向かった。人生で初めて乗る車椅子に「なかなか快適ですね」などと看護師に軽口を叩きながら向かう道中で全身真っ黄色の老婆を見た。末期がんだと思われる老婆が昏睡していた。ベッドは背もたれが立ち上げられ、寝ているというよりは立っているのに近い格好でまるで吊るされているように見えた。半裸の老婆の口元はモゴモゴとなにやら動き、そこを看護師が布で拭っていた。そばに家族の姿は無かった。今思えばたまたまその時に席を外していただけかもしれないが僕はそれを見て「孤独」だと思った。僕は数秒間そこから目が離せなかった。

HCUにお見舞いに来た両親の言葉をよく覚えている。

「ここには家族しか入れんみたいだな。こんな時に嫁さんでもいればワシらが来なくても安心なのにな」

そう言って親父は笑った。僕はこういう話題になる度に目を落として逃げていたスマートフォンが手元に無かったために仕方なく苦笑いをして親父の顔を見た。親父はいつもこんなに寂しそうに笑っていたのか。

 

アイドル現場は幻を見ることが赦された場所だと僕は思う。普段の生活では幻も見れない、しかし現実も見たくない、そういう孤独なおじさんの逃げ場としての機能がアイドルにはある。シャバでは非合法になってしまう僕らでも合法的に人を愛する幻が見られる。

例えば握手会、僕らが一般の10代の女の子の手を握ったら通報されるだろう。例えばコンサート、僕らが大声で一般の若い女性の名前を叫んだら通報されるだろう。実際に出会わなくてもいい。例えば生写真やポスター、恋人でもない一般女性のそれを部屋に貼っているのを発見されたら通報された上で精神科の受診を勧められるだろう。各種の映像やその他の媒体、ブログを読む行為すらそうだ。彼女達自身やそれを保護する企業が「ここまではエンターテイメント」と定義した限りにおいて、それらの行動は合法化されているだけだ。

孤独なおじさんの逃げ場としての機能がアイドルの全てだとは言わない。アイドルは幻ではなく人間なのだからちゃんとしろ、という意見も分かる。しかし合法的に幻に恋が出来る場所としての機能が確かにアイドルにはあるのだ。あなたには必要のない機能でも、それを必要としている人間は確かに存在する。

幻を愛することは心地良い。幻なのだから原理的に裏切られる事はない。ゲームの中のようなものだ。もちろんアイドル自身はゲームではなく実際の人生を生きている。アイドル自身とアイドルが作り出す幻の区別がつかなくなると酷い時には誰かが物理的に傷付く事になる。

 

テレビ朝日で見たトークショーで何故僕はそこにいてはいけないような気がしていたのか。それはトークショーに出ていたのは早見初美花、少なくとも早見初美花を演じる工藤遥であって僕に幻を見せてくれていた「アイドル」工藤遥ではないからだ。僕に幻を見せていたあの工藤遥はもういない。あの場で工藤遥が幻を見せたいのは幼児達だと思った。幼児達は幻を見ていた。幼児には幻を現実として見る能力が備わっている。羨ましいことこの上ない。それを見ていると、そこでは僕には幻を見ることが赦されていないような気がした。

この文章は特撮現場に通う工藤ヲタや若手俳優ファン特撮ファンを否定するものでは全く無い。僕は特撮現場に通う工藤ヲタになりたかった。出来ることならずっと幻を見ていたかった。でも僕にはもうその幻が見えなくなってしまったという個人的な話だ。工藤遥自身には感謝しているし興味もあるので今後も見に行く機会はあると思うが、少なくともあの場では幻が見えなくなってしまった。

幻を見られなくなった僕が仕方なく見た「僕の現実」はドロドロとした何かがまとわりついてくる真っ暗闇だった。そこに希望や愛は全く無い。新たな幻を探しに行く手もあるが、僕は暗闇を見つめる事を選んだ。

「アイドル」工藤遥が最後に放った呪いの言葉「皆さんも幸せになってください」が僕をゆっくりと締め付けている。僕はこの真っ暗闇のドロドロの中で「幸せ」を探さなければならない。「僕の現実」はどこに何があるのか全く分からないほど暗い。あちこちから断末魔の叫びが聞こえてくる。まるで看護師のいないHCUだ。僕は生きる為に痛みに耐えながらメシを食い、明日のために眠る。真っ暗の現実でやれる事は今の所それだけだ。

 

 

トークショーの数週間後、僕はB'zのライブに行く機会を得てLOVE PHANTOMを見た。このタイミングでこの曲が生で聴けた事で「ガチ恋おじさんの最終回だ!」と思った。「欲しい気持ちが成長しすぎて愛することを忘れて万能の君の幻を僕の中に作ってた」で全力のクラップケチャ(死語)を打つ泥酔した僕はもしかしたら多少「幸せ」だったかもしれない。幻の歌を歌う幻稲葉浩志は強烈に光っていた。真っ暗の現実を照らすのは幻と薬物だ。


B'z「LOVE PHANTOM」LIVE-GYM Pleasure '95 “BUZZ!!”

 

僕が死んだら葬式の最後にLOVE PHANTOMを流し、曲のラストと同時に骨壷をめっちゃ高い場所から落として欲しい。僕はその後普通に復活して次の曲を歌うから。

 

幻をいつも愛している 何もわからずに

Can you hear the sound 
it's my soul 
I will give you
anything,anything you want