10期バスツアー日記~賽の河原編~

前 10期バスツアー日記~生前の記憶編~ - 🍣

後 10期バスツアー日記~三途の遊園地編~ - 🍣

夢

宴会場の時点でビール瓶で頭をかち割られた俺は意識を失い、そのまま死んでしまいました。ここから先は死人の見る夢です。「富士急ハイランドに異常な執念を燃やす男」に部屋を連れ出された俺達は焼酎カップを片手にのそのそと部屋を出てバスに乗り込みました。宴会場でビールが提供されたということは酒を飲むのはオッケーなのだろう、という判断です。そこら辺はグレーゾーンなのでしょうが、お茶割りをチビチビやりました。暗い夜道を走るバスでは10期メンバーが事前に録ったと思われる映像が流れました。言い忘れていましたが、これは行きのバスから事あるごとに流れておりました。俺はずっとボーっと見ていたので詳細は覚えていません。ただ、2日目以降に佐藤優樹さんがおそらくはまとめ撮りされたであろう長い収録に完全に飽きている様子がそのまま流れており「さっすがまーちゃんだぜ!」というような事を思った覚えはあります。ともかく、俺は疲れと酔いでボーッとする頭を抱えて工藤遥さんが話しているのをバス備え付けの小さなモニターで見ていました。バスはそのまま50分ほど走り、夕方まで居た場所に戻りました。「富士急が貸し切りになっている」という情報は確か我々の乗ったバスでは富士急に向かう車内で発表されたのだと記憶しています。曖昧な記憶なので間違っているかもしれませんが、少なくとも俺はその時に知り「あれ?もしかしてこれは夢なのでは?」と思い始めました。「夜の遊園地を貸し切り」なんてロマンチックな事をアップフロントさんがやるワケがない「完全に俺達は騙されている。これから山中に放置されて殺し合いが始まるんじゃないだろうか。支給アイテムにサブマシンガンが入っていますように…」と思いました。実際は本当に夜の遊園地を貸し切ってあったので「え!すごい!アップフロントちゃんスゴイ!」と思いました。極悪なヒモがたまに見せる優しさに感動してしまって縁を切れないデリヘル嬢みたいな気分になりました。

マラソンランナーが給水所に飛び込むスピードで

我々の乗ったバスは遅い方の到着だったようで、既に富士急ハイランドの駐車場には20台以上のバスが並んでいました。当然といえば当然ですが、20台のバスが一気に駐車出来る場所は限られているので、実際にバスツアーに行っても全台集合しているのを見たのは、この富士急ハイランドと翌日の河口湖ステラシアターだけでした。大型バスが20台も並んでいるのは壮観な光景で、なんとなくアトラクション感がありました。が、そんな光景を楽しんでいる場合では無く、俺は案の定お小水がしたくなっていました。順番にバスごとに列に並んで入場するようだったのですが、このままではダムが決壊してしまう!と思い、闇に紛れて昼にも駆け込んだ駐車場のトイレに駆け込みました。闇夜を切り裂く一筋のお小水おじさんの閃光。闇を駆け抜け抜け駆け許さない。ショウスイオショウスイオショウスイおじさんズ。

なんとかトイレには間に合ったのですが、入り口に戻ると既に全員入場しており慌てて小走りでスタッフの立っている催し物ホールのような場所を駆け抜けたら、入り口に10期メンバーが立っており何かを配っていました。あまりに予想外の出来事だったのでマラソンランナーが給水所を通るスピードで入り口を通り抜けてしまい「うぉっつ、はい!え!?はい!」と確か飯窪春菜さんか佐藤優樹さんに言ったような記憶があります。あまり覚えていませんが。稲葉貴子さんがバースデーイベントでモギリをしてる時のような気分になりました。マラソンランナーが給水所に飛び込むスピードでメンバーの横を駆け抜けた先には体育館のような空間が広がっていました。そこに1000人を超えるオタクが集められ号車ごとに整列させられていました。なんという修学旅行感でしょう、と思いながらそのまま自分の号車の最後尾に並ぼうとしたところ「番号順、番号順に並ぶんだって!」と誰かに言われてそのまま最前列まで行かされてしまいました。オタク、真面目か!遅刻したヤツなんて後ろでいいんだよ!と思いながらよく聞いてみると昼間に写真を撮る時に振られた番号順に並べ、という指示が出されているようでした。俺は2番目に写真を撮ったので2番、我々の号車は全24台中ちょうど真ん中の12号車、気が付くと俺は2列目最中で10期メンバーの乗ったステージを見上げる事になっていました。ほろ酔いお小水おじさん、身分不相応な立ち位置にビビるの巻。体育館のステージ上で話す10期メンバーを見ているとなんだか文化祭を見ている気分になりボーっとしていると「ねぇ!後ろに背が小さい子いるんだからちょっとズレてよ!」と知り合いの妙齢の女性に小言を言われました。俺はちょっとズレました。そういえば、リアル中高生時代から委員長タイプの真面目な人にはよく怒られてたなあ、と思い出しながら。この時に10期メンバーが何を喋ったのかあまり覚えていないのですが「行くぞー!おー!あとお前ら絶対走るなよ!」みたいな会だったんだと思います、確か。ボーっとステージを見上げているうちに集会は終了し、俺はボーっとしたまま歩き出しました。どこへ歩き出しているのかもよく分からなかったのですが、とにかく歩き出しました。いつの間にかトボトボと歩く俺の横には「富士急ハイランドに異常な執念を燃やす男(以下単に「男」と表記する)」がおり「さあ!中島さん!行きましょう!まずはフジヤマです!ここ!飯窪いますから!飯窪!」とフルマックスのテンションで夜の富士急ハイランドに競歩のスピードで向かっていました。「走るな」という注意は厳守しており、すごいなあ、と思いました。

遊園地と工藤遥と私

遊園地とは縁遠い人生を歩んできました。俺がはじめて絶叫マシーンに乗ったのは確か小学校低学年の時、家族で行った遊園地のジェットコースターだったと思います。母親と妹とは別行動をして、酔っ払った親父とフラフラ園内を歩いていたらいつのまにかジェットコースターに乗っていたんだと記憶しています。そもそも親父が酔っててあんまりなんなのか分かっておらず「おい!なんかこの建物涼しいしあれ乗ろう!屋内じゃしジェットコースターじゃねぇじゃろ!ワハハ!」みたいなノリで乗ったら屋内型のジェットコースターだった、みたいな話だったと思います。当時から無駄に身体だけはデカかったので身長制限も余裕でクリアしてしまい人生初ジェットコースターに乗るハメになってしまったのです。ジェットコースターだと思わず乗ってしまったので「これジェットコースターじゃねぇか!親父めええええ!」という恐怖はありましたが、全然耐えられたのでまあこんなもんか、という感想でした。小学校低学年くらいが俺の一番知的で落ち着いた時期だったのです。しかし、親父は「うおーーー!ひぃーーー!ごぼぉーー!」みたいな、気持ちいいくらいかっこ悪い絶叫の仕方をしており、それが脳裏にこびりついたので「絶叫マシーンは乗れるけど今後はあんまり乗りたくないな、かっこ悪いし」と思いました。まあ、そのような心配をするまでも無く、思春期から大学を卒業するまで俺には「遊園地行こうぜ!」みたいな事をいう友達も、遊園地に一緒に行く恋人も出来なかったので自然な流れで絶叫マシーンに乗る事はあまりありませんでした。何度か付き合いで乗りましたが「別に平気だしちょっと内臓フワっとするし乗らずに済むならそれがいいな」という感想を持っていました。まともに自分の意志で絶叫マシーンに乗ったのは工藤遥さんが戦慄迷宮に入れなくて泣いたDVD(ハロー!チャンネル the DVD Vol.8)が出た後、それの再現をしに富士急ハイランドに行った時でした。工藤遥さんが異常に可愛いこのDVDの再現をしにわざわざ富士急ハイランドまで行ったのです。当時13歳の工藤遥さんがお化け屋敷に入りたくなくて泣いたり、ええじゃないかに満面の笑みで乗ったりする国宝級のDVDです。皆さん是非見て下さい、泣けます。そこで「ハルちゃーーん!!」などと絶叫しながら乗ったええじゃないかは存外に楽しく、工藤遥ってすごいなあ、と思ったのを覚えています。そのあたりからなのでしょうか、俺が人間としての気持ちを取り戻し始めたのは。工藤遥さんが俺に人の心をくれたのです。

 

俺がまだ、ガチ恋おじさんになる前の話です。富士急ハイランドの入場口にズンズン進んでいく「男」に着いていきながら、淀んでいく頭で昔の事を思い出していました。数分歩くと、入り口とライトアップされたアトラクションが見え、なんとなく少しテンションが上がりました。ああ、やっぱりこれは死ぬ間際に見る走馬灯なのだろう。親より先に死んだ俺は、この遊園地で小石を積み続けるのだ。工藤遥の思い出と共に<つづけ>