個別握手会

モーニング娘。の個別握手会に行ってきました。
俺は、工藤遥が好きなので、工藤遥の握手券を４枚持っていました。
その筋の人達から見れば、たったの４枚でしょうが、俺にとっては生きるか死ぬかの枚数でした。
そして、死にました。簡素で稚拙なレポではありますが、何かの参考になればと思い、また俺の備忘録として、書くことにしました。

１枚目
まず、知り合いのきくち先生という男に俺の前に並んでもらい「次に来る奴の名前ナカシマって言うんで呼んであげて下さい」と言ってもらいました。
冷静に考えたら物凄く恥ずかしい行為なので、やってもらわない方が良かったような気がしてるんですが、
当時の俺には冷静さのカケラも無かったので、それで俺の名前が工藤遥に覚えられるならと、やってもらいました。
ココは強調しておきたいのですが、これはあくまで、俺の最近の惨状を聞いたきくち先生本人がやりたいと言出したことで、
俺は「やってくれるっていうんならやってくれ！是非！」とは言いましたが、
決してきくち先生に無理強いしたワケではないんです。当然ですけど。
しかし、これが工藤遥さんには無理強いしたように見えていてもおかしくない。今考えれば全然おかしくない。

ブースに入った瞬間から少しヒキ気味の工藤さん。一応「あ、ナカシマさん」と言ってくれました。いい子です。本当に。
工藤遥さんがいっその事、本当にどうしようもないロクデナシの女だったら、俺はこんなに苦しまずに済んでいるのに。
この日は早朝に、例のドッキリのテレビ収録があり、俺もそこに観覧として参加していたので、その話をしようと思っていました。

「（名前を呼ばれたことに対して）ありがとうございます。今日の早朝の収録、見に行きました」
「そうなんですか！ありがとうございます。あ、そういえばいましたよね、」

俺は本当に嬉しかった。俺は遂に工藤さんの視界に入ることが出来たのです。
良かった、車中泊して良かった。バスの中で尿意に襲われてペットボトルに小便したけど、本当に良かった。
俺は嬉しすぎてその先に話そうとしていた事を忘れてしまい、少しの間が開いてしまいました。
でもそんな事もう気にならないくらい嬉しかったのです。その少しの間の後に、工藤さんから発せられる言葉を聞くまでは。
工藤さんは少しの間の後で、こう言いました「いましたよね、あっきーの隣に・・・」
工藤さんは何か、そこから言葉を繋げようとしているような素振りを見せたのですが、
俺にはもう、それを待っているような余裕はありませんでした。ともすれば、その場に崩れ落ちて号泣してしまいそうだったのです。
ああ、そうか、俺の事は目の端に入っただけだったんだな。隣の席の前田あっきーを見てたのか。当然の事実でしたが、俺はショックを受けていました。
前田あっきーは、俺と同じ時期に握手会で工藤遥に名前を言って、一発で覚えてもらっていました。
俺はそんなあっきーを羨望の眼差しで見上げ続けるだけの日々からどうにか抜け出したい、そう考えて毎日生きていました。
俺なりに努力もしていました。それでもやっぱりうまく行かなくて、哀しみに暮れる日々でした。
そんな日々からやっと抜けられたんだ！俺も工藤遥の視界に入ることが出来たんだ！そう思った矢先の、この言葉でした。
俺は、思考能力を失ってしまって、脊髄反射で声を出してしまいました。とにかく何か言わなければ、とそう思いました。
「あっきーの隣にね！」
俺はそう言いました。しかも声の音量を完全に間違えてしまいました。結構大きな声を出してしまいました。
少なくとも、俺が今まで個別握手ブースの中で出した声の中で一番大きな声だった事は間違いありません。
これが工藤さんには、俺が威圧したように見えた、聞こえたのでしょう、目を丸くして、苦笑いのような表情を浮かべておりました。
それは、俺が、一番見たくないと思っていた表情でした。あんな顔、全然見たくなかったのです。

個別ブースを逃げるように出て、俺は、同行していた知り合い４人と落ち合いました。
その中には、もちろんあっきーもおりました。俺は取り乱していました。
「ヤッタルチャンになるわ！俺はもう！」などと、意味不明の言動を繰り返しました。
そうしていないと、その場で泣き崩れてしまいそうだったからです。
みんな、笑っていました。きくち先生は特に、爆笑していました。
なんかちょっとだけ、元気になりました。笑ってもらえて良かったなあ、と思いました。
俺にはまだ３枚の握手券が残っていました。

２枚目
この時に、俺が何を言おうとしていたのか、イマイチ正確に思い出せませません。
そんな大した事は考えていなかったんだと思います、何かを言おうとしていたような気はするのですが。
握手列では、あっきーの真後ろに並んでいました。俺は、プライドも何も、かなぐり捨てていたのです。
俺のちっぽけなプライドなんてクソの役にもたたないのですから。
既にしっかりと工藤遥の世界で息をしている前田あっきーの後ろにいないと、俺は工藤遥に認識されないのです。
その事はもう、認めざるを得ない状況でした。自分が、工藤遥にとって、透明な存在であるのだと認めなければならなかったのです。
これは、酷くツライ事ではあったのですが、俺はもう、そうすることでしか、あの冷たい個別握手ブースに入って行くことが出来ませんでした。
それに考えようによっては、これは新たなチャンスでもありました。
つまり、俺自身は透明な存在であっても、前田あっきーの近くにいれば、少なくとも工藤遥の視界には入る、という事が証明されたのです。
俺はその細い糸にすがるしかなかったのですが、しかし、真っ暗な奈落の底に居る俺には、その糸はピカピカと光って見えたのです。

前田あっきーの複数枚出しが終わり、俺はどうにか作り出したおどけた表情でブースに入り
「どうも僕です！あっきーの横のナカシマです！」
と言いました。工藤さんには全くウケませんでした。後ろのハガシが「フッ！」と鼻で笑う声が、静かなブース内に響きました。
工藤さんは

「ナカシマさんですか、じゃあ「なかじ」って呼びますね」

と言いました。俺は混乱しました。
何故なら、「なかじ」というのは、前の個別握手会で俺が工藤さんに付けてもらったアダ名ソノモノだったからです。
つまり、工藤さんに覚えられていなかったアダ名だったのです。俺の中では、歴史の闇に葬られた、もう、思い出したくもないような名前です。
それがここへ来て復活したのです！俺はもう、本当に大混乱してしまい、そのままブースを出てしまいました。
ブースの出口付近で見つけた、きくち先生に足早に近づき「怖い、怖い怖い怖い」と呟くのが精一杯でした。
「とりあえず、一旦外に出よう」ときくち先生に促され、会場外に向かう間にも、俺の頭はどんどん混乱していきました。
世界がループしているんじゃないのか、というような錯覚に、まず陥りました。
何もかも、前の個別と同じ流れではなかったか、あの握手は。あの個別ブース内では、世界がループするのだろうか、そう思いました。
しばらく考えると、もっと現実的な理由が思い浮かびました。が、これはあまりにも、あまりにもツライ想像だったので、
俺は、世界がループしている方がマシだなあ、と思いました。
俺が「なかじ」と呼ばれる現実的な理由、それは「名前を覚えやすくするための事務処理」です。
他にも何人、何十人の「なかじ」が居るのではないだろうか。俺は一絡げにされ、その「なかじ」フォルダに入れられたのではないだろうか、というものです。
工藤さんにはたくさんのファンが居り、名前を覚えてもらいたいと思っている人もたくさんいると思われます。
こういう手段をとるのも、当然である、というような気もします。
でも、実際に自分が一絡げにされていると思った時の、この言い様のない恐怖はなんでしょうか。

俺は一番最初、３ヶ月前に個別握手会で握手した時、工藤さんの特別な人になりたい、と思ってしまいました。
これは無理でした。すぐに気付かされました。打ちのめされながらも、なんとかその思いを抑えこみました。
それならば、せめて、「近所のおじさん」くらいにはなりたい、と思えるようになりました。
しかし、次に突きつけられたのは「近所のおじさん」にすらなれない、という現実だったのです。
俺は一人の人間として、工藤さんに認識されなかった、という事なんじゃないだろうか。
つまり、俺は工藤さんにとって、人間ではなく、言うなれば工業製品のような存在なんじゃないだろうか。
流れてくる工業製品に、それぞれ、何種類かのタグを付けるように、俺には「なかじ」というタグが付けられ、流される。
次に来た時に、タグを確認して、なかじ、と呼べばいい。それだけの取るに足らないものなんじゃないだろうか。
そう思いました。実際のところはわかりません。というよりも、これは間違った想像である可能性の方が高いように思われました。
そう思いたかったのかもしれません。結局の所、工藤さん本人に聞いてみないとわかりませんが、俺にはこれを聞く勇気はありませんでした。
もっと希望を持った予想でいえば、工藤さんが前の握手で俺に「なかじ」という名前を付けたと言う事を覚えていた、
という可能性もありますが、こちらは工業製品の予想よりもさらに可能性が低く感じられました。
少なくとも、当時の俺は、この希望的観測を信じるには、あまりに傷つきすぎていました。
同行した４人は「ナカジマという名前だと勘違いしている可能性もある」というので次の握手では、これを確かめる事になってしまうのですが。

３枚目
はじめから気乗りはしませんでした。
もう適当に「お疲れ様です」とかなんとか言って、早くここから逃げ出したいと思っていました。
認知されたいという思いが強すぎるウチは、握手なんかしない方が絶対良い、そう思いました。
でも、だからと言って、持っている握手券を破り捨てて家に帰れるほど、俺は強い人間ではありませんでした。
それに、俺も結局は、何故俺は「ナカシマ」なのに「なかじ」と呼ばれたのか、それも2回も、という事が気になっていたのです。
もしかしたら、何か俺が思いもよらないような理由があるのかもしれない、そう、俺は救われたかったんです。
俺は意を決してブースに並びました。もちろん、あっきーの後ろに。そうしないと俺が「なかじ」であるということさえ、
忘れられてしまいそうだと思ったからです。

「あの、俺ナカシマって名前なんですけど、なんでなかじなんですか？」

自分が思ったよりもスムーズに、その言葉は出てきました。非常に聞き取りやすかったんじゃないでしょうか、アレは。
哀しみ過ぎて、感覚が麻痺していたのかもしれません。
工藤さんは少し困ったような笑みを浮かべて「まぁまぁいいじゃないですか〜」と言いながら、
握手していない方の手で、俺の右手をペチペチして来ました。かわいいなーと思いました。
かわいいなーと思ったので、俺は「ハハハ」と力なく笑って、そのままブースを出ました。
「いや、結局どういう事なんですか！他にもなかじって人がいるんですか！？」
と、聞こうと思えば聞けたと思います。でも、俺にはそれは出来ませんでした。
怖かったんです。「なんだよコイツ、めんどくせーめんどくせーとは思ってたけどマジでめんどくせーな」
と思われる事も、本当の真実が工業製品扱いだったという事を完全に思い知らされる事も、どちらも怖かったのです。
でも本当は気が付いていました。工業製品扱いである可能性が高まったな、ということに。
少なくとも、俺の名前がナカシマだとは分かっているようでした。
笑顔でごまかされたので、俺の特徴などを捉えて、何か特別な理由であえて「なかじ」と呼んだ、という事もなさそうです。
そうなるともう、工業製品か、前の握手会で名前を付けた事を覚えていた、というくらいしかない、と考えました。
どちらがより有り得そうかというと、残念ながら、という結論にどうしても辿り着いてしまいます。
俺は深く絶望していましたが、まだ最終部の握手券が残っていました。
握手会場のビルの照明をぼーっと見つめていると、泣きそうになりました。

４枚目
さあ、どうしようか、俺は考えました。
「今日はお疲れ様でした！アダ名付けてもらって嬉しかったです！ブログにコメント書きます！ナルチカ行きます！」
と、哀しみも絶望も何もかも押え付けて、軟着陸する方法、これがまず、良いように思えました。
工藤さんには、俺の哀しみなんて関係ないのだから。少しでも気分の良い終わり方にしたい、そう思いました。
もちろん、俺と握手してる時点でもう工藤さんは気分悪いのかもしれないけれども。
俺は相当卑屈になっていました。俺が卑屈にならなくていい理由なんてないでしょ！とすら思っていました。
他の方法も思い浮かびました。もちろん工藤遥に罵詈雑言を吐いて二度とこねぇよ！なんて言うなんて事は考えもしません。
そんな事、全然やりたくないし、絶対にやりません。なにせ、工藤遥の事は全く恨んでいませんから。恨む理由もないですし。
俺が考えていたのは、もうここで終わりにしようかな、という事でした。
「今日は一日ありがとうございました。クソお世話になりました！」
と言って、もう２度と握手会には行かないでおこう、と少しだけ考えました。ツライ事が多すぎましたから。
でもこれは、既に予定に入ってしまっている握手会が１２月中に５回はある、という事から考えて、少し無理があるように思いました。
この日の行動から考えても、俺は握手できる機会が既にあるのならば、おそらく握手してしまうであろうことは容易に想像できたからです。
それではやはり、うやむやになってしまいそうです。俺は結局軟着陸する事にしました。
粛々とブースに入り、工藤さんからなかじ、と俺のタグ名を呼ばれた後、
「今日はなかじも朝から一緒ですね」
と言われました。なかじも？「も」ってなんだろう、と思いながらも、工藤さんの方から言葉をかけてもらったのが嬉しくてちょっとテンパってしまいました。
本当に、かわいいおっさんなんです、俺は。結局ちょっとテンパってしまって、ブログにコメント書きます、と言うのを忘れてしまいました。
ナルチカ行きます！おーありがとうございまーす。みたいな、予定調和の平和の中、俺の個別握手は終了しました。
握手が終わった後、前田あっきーと話した所、なかじ「も」と言われた謎が解けました。
「今日はあっきーとは一日一緒だね」という会話を、先にしていたようです。それを受けての「なかじも」という事でした。
俺はこの、軟着陸に行った、当たり障りの無い握手ですら、前田あっきーとセットにされなければ、工藤さんからのお言葉は頂けなかったのです。
俺はどこまで行っても、単品では工藤遥の世界に存在できません。松屋の味噌汁かよ！と思いました。

おわり