工藤遥ファンクラブツアーin長野 HARU COUNT DOWN 19→20日記 後編

野獣死す

グループトークの会場から夢見心地で出ると、僕の前を歩いていた同行者がいきなり「クソッ!」と咆哮しました。僕を含めて周りに居た全員が驚きました。待機所で待っている人から「一体中で何が行わるんですか…?」と不安そうな顔で言われました。「少なくとも出た瞬間咆哮するような事は行われていないと思うのですが…」と僕は答え、早足で行ってしまった彼に追いつき話を聞いてみると、どうやらそれは彼の自分自身への怒りであるようでした。

僕と同室の人の中では彼が紛れもなく握手チャンピオンでした。量的にも質的にも。グループトークの前にも「俺にボールを集めろ」という自信を見せていて、僕もグループトークが始まるまでは「彼がガンガン喋るのだろう、どんな事を喋るのか見てみたいな」と楽しみにしていたくらいでした。しかし、実際始まってみると彼はほとんど喋りませんでした。そしてそのまま試合が終了しました。

次のカウントダウンイベントまでは少し時間があったので、部屋に戻り酒を飲みながら本人になぜ喋れなかったのか聞いてみると「わからない、わからないけど、工藤遥が思った以上に良い女になってて緊張した…」と予想斜め上のカワイイ理由を苦悶の表情で吐露してきましたので、僕は爆笑しました。

類は友を呼ぶ、と言いますか、僕の周りには繊細な人間が多く、彼もその例に漏れず非常に繊細な男です。最初は笑顔を浮かべながらイベントを振り返りつつ反省点を面白おかしく話し合っていたのですが、隣室でイベントが同グループだった知り合いが部屋にやって来て「いやー!グループトーク最高だったー!あれ?○○くん全然喋って無かったよね?なんで?」などと言われ始めると目に見えて元気が無くなっていきました。「まあ仕方ないよ!あの短い時間ではあなたの魅力は伝わらないって!」と言われた時、遂に彼はノックダウンされてしまい、自室のベッドにデーンと倒れてそのまま不貞寝をはじめてしまいました。

僕も彼と似たような所があるのでよく分かるのですが、こういう時に「慰め」というのは非常に鋭利な刃物になります。慰めている方が善意なのは分かりますが、その慰めに潜む「慰めが覆い隠そうとしている真実」を深く自覚している場合には、その慰めこそがむしろ心の一番奥に刺さってしまうのです。まあ僕はその様子を見て爆笑しましたが。爆笑してあげるのが心の傷を作った失敗に対する最大の供養だと思うからです。これはこれで人によっては傷付いてしまうらしく、よく怒られます。人間って難しい。

その後は、ノックアウトされた彼も連れ出し、大浴場に入って浴衣に着替えたらどうでも良くなってしまい、わりとパーッと2時間ほど飲んでしまいました。少し飲みすぎたかな、と思いながら僕は工藤遥の誕生日を祝うため、カウントダウンイベント会場に向かいました。

愛の人

僕は最近「愛の人」という言葉をよく使います。「愛の人」は僕が憧れている人々です。「愛の人」の愛は大きく深い。僕には信じられないくらいの速度でなにかを愛し始め、僕には信じられないくらいの広さで色々なものに愛を振り撒き、僕には信じられないくらいの深さで対象を愛します。そして常に何かを愛しています。愛する対象がなんらかの理由で失われると不安や焦燥感に襲われ、愛する対象を探してすぐさま行動を起こします。僕にはそれは依存症の症状に見えます。愛依存症患者の事を僕は「愛の人」と呼んでいます。

オタクには「愛の人」が多い。だから僕はオタクの人に興味があるのです。また、アイドルにも一定の割合で「愛の人」が存在し、その割合は他の職業に比べて高いように思います。こういうブログを書いていると僕のことを愛の人だと思う人もいるかもしれません。しかし残念ながら僕は愛の人ではありません。僕は愛に依存することが出来ないから、こうしてゴチャゴチャと文章にして愛の人が無意識に通り過ぎるような「愛について」をずっと考えているのです。

工藤遥は紛れもなく愛の人です。この日のカウントダウンイベントでもずっと愛の話ばかりしていました。僕はそれを聞きながら会場入り口で受け取ったファジーネーブルに浮かんだ氷が溶けていくのをじっと見ていました。それは「工藤遥人生初の乾杯」用で、カウントダウン終了とともに全員で乾杯する手筈になっていました。隣に座っていた若い女性はファジーネーブルを律儀に両手で大事そうに持ち、工藤遥の話にウンウン頷き、時には涙しながら工藤遥の愛の話に聞き入っていました。

スタッフも含めて会場中がニコニコしており、あちこちから感動してすすり泣く声が聞こえてきました。普段愛を全く摂取していない僕はその大量の愛で「愛酔い」してしまい、頭がクラクラとしてきました。じっと見つめていた溶けた氷で薄まっていくファジーネーブルに乾杯前に口をつけ、そのまま一息に飲み干すと少し楽になりました。

僕は空のカップを床に置き、浴衣の袖に手を入れてじっと工藤遥を見ました。彼女は本当に嬉しそうにソワソワしながら早口で愛の話をしていました。そこに「誕生日にバスツアーをやればウハウハに儲かる」みたいな思いは欠片も感じられませんでした。彼女は純粋に集まったファンに感謝を伝え、それを受け取ったファンの大多数もそれに答えて愛ある眼差しを返していました。「だりぃけど儲かるからやるかー」と、そう思っていてくれさえすれば、僕にも理解が出来るのに。

大体二十歳の誕生日当日にファンクラブバスツアーをやろうなんていうのは正気の沙汰ではないですよ。愛が行き過ぎていて狂気を感じます。だから僕は彼女に興味が尽きないんだろうなあ、と思いながら進んで行くトークイベントを眺めました。

乾杯が終わり、ファン代表による手紙が読まれ、イベントは終了しました。僕は最後まであまり馴染めませんでした。愛の空間に一人でポツンと浮いているような気がしました。この会場で今高額の羽毛布団を売ったら飛ぶように売れそうだな、などと考えながら会場を出ると、先程まで不貞寝していた同室の「手紙読みに異常な執念を燃やす男」に出会いました。彼は憤怒していました。曰く「あんなものは俺の気持ちとは違う」「俺たちは無視されている」「俺に読ませろ」やはり彼を同行者として選んで良かったなと思いました。

あの代表者達による手紙が悪かったとは僕は思いませんが、彼のような人間も一人くらいは手紙を読んでも良かったのではないかと思います。会場の空気や工藤遥の気持ちがどうなるか保証は出来ませんが。まあ彼は意外と繊細で良い奴なので、実際に手紙を読むとなったらそこそこ良い手紙を読むと思います。次回のバスツアーで手紙を読むイベントがありましたら、スタッフの皆さん、よろしくお願い致します。御社に目一杯尽くします。

濃霧の白馬、深夜の酒

自室に戻ると知らない人が一人いたのでみんなで酒を飲みながら話をしました。やっとなにも気にする事なく酒が飲める時が来ましたが、既に時刻は深夜1時近くになっていました。それでも2時過ぎまでは普通に酒を飲み、その後は寝てしまった何人かをそのままにして3人ほどの生き残りで話をしました。

僕はいくらでも起きていられるような気がしていましたが、バス移動の疲れや前日の睡眠不足もあり、いつのまにか寝てしまいました。今回のバスツアーはカウントダウンイベントがある関係で宿での部屋飲みが十分に出来なかった事が少し心残りです。次回は新幹線で箱根とかにしていただいて昼からイベント、夜は大宴会にしていただけると助かります。もしくは思い切って沖縄二泊三日とかいかがでしょうか。沖縄に入ったら常に酔っ払っていても問題ないと知り合いの沖縄人が言っておりましたし。

ヒトの心

寝落ちから目覚めたのは、大体6時くらいだったでしょうか。不思議とあまり眠さや疲れは感じず、朝風呂に入って朝ごはんをモリモリ食べ、シャキっとバスに乗りました。二日目は朝イチから「手毬作り体験」というイベントがあるようでした。

朝もはよからバスに1時間と少し乗り、謎の体育館のようなところにゾロゾロと集められた我々は、「THE・PTA会長」といった感じの品の良い淑女から手毬作りの説明を受けました。工藤遥も僕達と一緒に手毬を作るようでした。

朝から細かい作業か…と最初は思ったのですが、元来単調な作業を淡々とこなすのが好きなのもあり、これがなかなか楽しくて思わず夢中になってしまい、工藤遥を見るのを忘れてしまいました。隣の席で手毬を作っていた「グループトークでやらかして不貞寝した男」は挽回の機会とばかりに張り切って手毬を作り、工藤遥へのアピールにも成功し通路を歩いてオタクの手毬を見ていく工藤遥に一声かけられていました。彼は満面の笑みで勝利の雄叫びを上げました。まーくん、良かったね。

講師として数人の淑女が僕達の手助けをしてくれていたのですが、その淑女の皆さんと手毬を作りながら談笑している間はこのバスツアー中で唯一「工藤遥バスツアーに来た人」から「人」に戻れた瞬間だったと思います。みなさん良い人で丁寧に教えて下さり非常に良い時が過ごせました。後半、工藤遥がどこかへ行ってしまい、オタクと淑女がただただ手毬に針を刺すだけの時間があったのですが、僕は楽しかったです。

苦行僧が旅の途中、一時里に降りて人々と会話したような、そんな気持ちでした。ただ、我々は行かねばなりません。次のイベント会場へ。バスに乗って。拙僧、まだ苦行の旅の途中ゆえ…

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ドッジ弾平

またバスに乗り、次の目的地わさび園に向かいました。どうやらここには工藤遥はおらず、鈴木啓太氏と工藤遥直筆の看板があるだけのようでした。残念ながら僕は看板にも鈴木啓太氏にもあまり興味がありませんでした。わさび園で興味があったものを順に書くと、まず一番はわさびビール、これはもうダントツ一位です。第二位は喫煙所の有無と場所、わさびソフトクリーム等の名物が次に来て、その次はもちろんわさび園の景観、最後はトイレの遠さと綺麗さ(出来ればウォシュレットあるといいな)です。僕はおそらくわさび園で鈴木啓太氏に会っていません。どこにいるのかもよく分かりませんでした。

わさび園で奇跡的にたまたまわさび園に遊びに来ていた長野在住の友人に出会ったので、その友人とわさびビールを飲みながら話をしました。彼はつばきファクトリーのバスツアーに最近行ったようだったので、つばきのバスツアーはどのようなものだったのかを聞きました。彼はつばきバスツアーのメインイベントはドッジボール大会だったと言いました。なんやそれ激アツやんけ、と僕は言い、ビールをぐいっと飲みました。

同室のオタクでチームを組み、トーナメント形式で勝ち上がった1チームがつばきファクトリーチームとドッジボールが出来る、というものだったと彼は続けて教えてくれました。なんやそれ激アツやんけ、と僕は再び言いました。もし工藤遥のバスツアーでそんなものが開催されたら、僕は全身の腱という腱が切れるまで全力でボールを投げて勝ちに行ってしまい、ドッジ弾平の親父のように「ドッジボール死」をしてしまう所だったので、開催されなくて本当に良かったなあ、と思いました。

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その後は昼食を食べるために食堂のような所までバスに乗りました。隣の人と肘が当たるほど狭い席で「そばサラダ」や「なんの肉かわからない肉の鍋」など独創的な料理をなんの説明も無く食べました。まるでブロイラーになったような心持ちがして最高でした。

もしも…

昼食後、バスはまた1時間と少し走り、市民会館のようなホールに到着しました。ここらあたりになってくると身体に疲れが相当溜まっており、バスの中では気を失っていました。そのままボンヤリと指示されるがままバスから出ました。ライブがあるということでオレンジのTシャツなどに着替えている人が多かったのですが、僕は朝からずっとボーッとしていたため黒いパーカーに黒いズボンという設営スタッフのような格好でライブ会場に入場してしまいました。

ライブの座席は前日に抽選で決まっていたので、抽選券を見ながら座席に座ると、右隣の席に「オールブラックスの主将」が座っていました。なんだか最後まで縁があるなあ、と思いながらそのまま座って開演を待ちました。

「オールブラックスの主将」の独り言はその時もかなりの音量で繰り返されており、なんらかの精神疾患がある事は間違いなさそうでした。この種の独り言に多い「電車や駅の名前」や「その後入っている予定の確認」や「スタッフや周りの人への不満」みたいなものを延々と繰り返していました。僕の左隣に座っている女性は少し怯えているようでした。「オールブラックスの主将」は身体も大きく、万が一暴れだした場合抑え込むのは難しそうだ、と思ったのかもしれません。僕は「まあなんとかなるだろうし、そもそも独り言を言っているだけで暴れはしないだろう」と思い聞き流していました。「電車」「駅名」「予定の確認」が繰り返されるなか、開演直前、不意に「秋のペイペイ祭り!」という独り言が繰り出されました。僕は予想外の言葉に思わず笑ってしまい、それを圧し殺して左を見ました。左隣の女性も笑っていました。

そうこうしているうちに開演の時間になったようで会場が暗転し、ポニーテールの工藤遥が出てきました。衣装のワキがザックリ開いていたので「ワキ!」と思いました。一曲目が始まるとすぐに「オールブラックスの主将」がいきなり後ろを振り向いて荷物をガサガサし始めたので一体なにを出すのだろうと思っていると、主将はデカイメモ帳とボールペンを取り出し、すごい勢いでメモを取り始めました。いやメモリストなんかい!と思いました。

一曲目に歌われたハンドメイドシティは好きな曲で、特に「あっついあつい、夜だよね!」の新垣里沙が好きなので、夜だよね!と僕は小声でコールしました。別に小声でなくても良いのに。オレンジに染まった会場に全身黒ずくめで立ち尽くし小声でコールを入れる男、俺こそがオールブラックスだ、と思いました。

その後も棒立ちで工藤遥を見ました。僕は工藤遥を見る時は大抵棒立ちしています。楽しくないのではありません。ただ見惚れてボーッとすると棒立ちになってしまうだけです。あとワキとかをちゃんと見て網膜に焼き付けたい、という気持ちもあります。

僕が棒立ちしている横で主将はメモを取り出したりしまったりキンブレを振ったり忙しく動いていました。MCを聞いている途中だったでしょうか。僕は主将の独り言が完全に止んでいる事に気が付きました。僕は主将を見ました。主将はまっすぐな目で工藤遥を見ていました。舞台上から工藤遥が語りかける言葉全てに返事をしながら。ああ、この人は工藤遥を見ている時には頭の中の声が消えるんだな、と僕は思いました。僕はなんだか猛烈に感動してしまいました。

幻だから出来る事があるんだ、と思いました。幻にしか出来ない事があるんだ、と思いました。舞台上の彼女はそれを背負っているんだ、と思いました。別に精神疾患患者や僕のような社会の底辺に限ったことではありません。人が生きるのには常に困難が伴います。どんな人にでもそれは付きまといます。それを一時でも忘れさせてくれる幻を見せてくれる人がいるというのはなんと幸運なことでしょうか。僕は主将と抱き合って喜びたい気分になりました。もしもこの星が一日で最後迎えるとしても、僕らにはこの幻が見えるのです。

 失敗握手学習ドリル

和田彩花氏は「握手会は感謝を伝える場である」と発言していました。僕もそう思います。そして僕は感謝を伝えるのがあり得ないほど下手なのだと思います。何年やっても握手会には慣れません。むしろ年々下手になっているような気がします。

「何か気の利いた事を6秒以内に言わないと!」というプレッシャーが何故か常にあります。別に気が利いていなくてもきちんと感謝を伝えられればそれで良いはずなのに。それでいうと時間制限のあまり無いグループトークは僕向きだったのかもしれません。

握手会の失敗パターンにはいくつかの定型があると僕は思っているのですが、このバスツアー最後の握手の失敗は「決め打ち」という型に当てはまります。何か言おうと思っている話があって、それを言うと決めてしまうのです。それ自体はそんなに悪い事ではないのですが、失敗握手常習犯の場合、それに対する向こうの答えもこちらで予め想定してしまっています。「これを言って、こう返ってきて、そしたらこう返すぞ!」と強く意識しすぎるあまり予想外の事態が起きた場合に全く対処出来なくなってしまうのです。さらに悪いことに予想外の出来事があったにも関わらず「決め打ち」に入っていると無理矢理流れを無視して言おうと思っていた事を言ってしまう、という傾向もあります。これをやると大体無茶苦茶変な空気になります。

この日の場合は言おうと思っていた事を話し出す前に工藤さんの方から「楽しかったですか!?」と話しかけられてしまったために頭が真っ白になり、流れを無視して言おうと思ってたことを言って変な空気になった、という完全に定型通りの失敗握手でした。僕はもう6年くらいこれを繰り返しています。失敗握手のプロです。禁煙に何度も成功している禁煙のプロ、的な。失敗握手を学んで君も握手プロになろう!という類の本が出せるくらい毎回失敗しています。失敗握手の凡例には困りません。出版社の方、連絡お待ちしております。

握手終わりに放心していると、後ろで見ていた知り合いから「怖すぎですよ、アレは。挙動が不審すぎるし顔も怖すぎる」と言われました。工藤さんはさすがにもう結構俺のそれには慣れている感じがするのですが、他のアイドルの握手会などに行くと本格的に怖がられる事が多いです。自分ではよく分からないのですが。現世のアバター作り失敗しました。美少女のアバターに作り直したいです。

オタクバス・オブ・ザ・デッド

握手会が終わった後はバスの中でかなりの間待機させられました。握手も失敗したし昨日撮った遺影も変な顔してたし早く帰らせてくれー!と思いながら過ごしました。30分ほどそうやって過ごしているとにわかに車内がざわつき始めました。どうやら工藤遥さんがお見送りの為にバスの方へやって来ているようでした。「もういいよ…散々見ただろ…今更バスの外で工藤遥が手を振った所で…」と最初は思ったのですが、バスの窓から工藤遥が見えた途端「…うおおおおーーー!!」となり、結局2日間で一番と言っていいほどテンションが上がってしまいました。

なんなんですかね、アレは。よく分からないんですが、バスの窓をバンバン叩いてゾンビのようになりながら「うおおおー!こっち見てくれー!助けてくれーー!」と言ってるのが一番楽しいんですよね。どうもそれくらいの距離感が僕は一番自分を開放出来るようです。コンサートを観る時とかも2階席の方が気楽でテンション上がりますし、これはもう僕の気質の問題なような気もします。ともかく最高でした。僕にはバスツアーではなく走るジープの中から公園にいるハロメンを観察するサファリツアーの方が合っているのかもしれない、と思いました。

オタクバス・オブ・ザ・デッド2

大興奮のお見送りを終え、バスは東京目指して走り出すワケですが、ここからが本当の地獄です。行きのバスは「これから工藤遥に会える」という気合いでなんとか乗り切れるのですが帰りは本当にツラい。バスツアーの帰りのバスがこの世で一番ツラいバス移動かもしれません。

そんな地獄のバス移動は車内でオタクが持参したライブDVDなどを流してもらうことで緩和する、というのが最近のバスツアーの慣例になっているようなのですが、我々が乗車したバスではバスツアー用に制作された車内用DVDが3周流れました。オタクが持参したDVDが尽きてしまったのと、添乗員さんが空気を読み間違えたのと、同行者のSくんが2周目が終わった後にふざけて「もう一回!」と言ったのが添乗員さんに聞こえてしまったせいです。

これまた最近のハロプロ関係のバスツアーでは割とおなじみになっている「添乗員さんがオタクサイドに寄せてくるヤツ」というのがあって、添乗員にオタクがあだ名をつけたり、添乗員の名前をコールしたりするのですが、僕はあんまりアレは苦手で乗り切れません。僕たちのバスの添乗員のお姉さんも乗り切れていないようでした。イエス、親近感。

会社からの指示なのか、なんとかオタクサイドに寄せる空気を出そうとしていたものの、多分根がそういう方ではないのでしょう、お姉さんがずっと薄くスベリ続けている感じになってしまっていました。僕にとってバスツアーは苦行でしたが、二日間、彼女にとっても苦行だったのではないでしょうか。結局最後まで微妙な空気のままでした。それでも完走した彼女に敬意を表します。もし僕が彼女の立場なら白馬の宿から濃霧の山道を裸足で逃げ出していると思います。途中で死んだって構わねぇ。死んだまま生きるよりマシさ、という気持ちで。我慢強い彼女の人生に幸あれ。

ちなみに車内DVDは3周目が一番面白かったので僕は帰りのバスで一睡も出来ませんでした。何度も何度も時系列をループしてバスツアーの行事前の告知をし続ける工藤遥。それをじっと見る地獄の車内。僕も2周目までは「なんなんだこれは…気が狂うぞ…」と思っていたのですが、3周目は本当に気が狂ってしまったので完全に楽しめました。2周目まででは気が付かなかった細かい工藤遥の動きに気が付いたりして最高にハイになったりなどしました。ハイパーメディアデジタルドラッグでしたね、あれは。

4時間走ったバスが東京駅に到着し、バスツアー参加者達は三々五々帰っていきました。僕はまだ飲み足りなくて同行者の家で「やっと気兼ねなく飲める!朝まで飲むぞ!」と酒を飲みはじめたのですが、あまりに疲れていたので終電で帰宅しました。老いを感じました。こうしていつの間にか老いて、やれることがどんどん少なくなり、やがて動けなくなって死ぬのでしょう。

夢見る中年男性

帰りの電車の中でバスツアーについて振り返ってみると不思議なことに「いやあ、楽しかったなあ」「良かったなあ」という気持ちしか湧いてきませんでした。ツライ時間や謎の時間の方が確実に多かったはずなのに。一体この気持ちがなんなのか、今の僕にはまだ答えが出ておりません。

愛依存症患者になることを夢見る中年男性は、果たしてどうなるのでしょうか。それは僕にも皆目見当がつかないのですが、ひとつだけ確実な事は僕はまたバスツアーが開催されたら0.5秒で行くことを即決してしまうだろう、という事です。

もしも工藤遥が熱出したり転んでケガしたとしても、ダッシュで駆けつける事は僕にはできません。工藤遥が怖い夢を見ちゃった時に電話をかけるのは僕ではないし、工藤遥にかわゆくチューする事は法的に僕にはできません。工藤遥がこの星の最後の一日を一緒に過ごして笑い合うのはきっと僕ではないでしょう。

しかし、僕はもしも工藤遥ファンクラブツアーが開催されたらダッシュで駆けつける事ができます。僕にはそれができるのです。そこで己の心身を練磨することができます。心身の練磨の果てには、怖い夢を見ちゃってもそれに己自身で打ち勝ち、かわゆいチューへの欲求を完全消失させ、もしもこの星が一日で最後迎えるとしても犀の角のようにただ独り歩む事ができます。その境地に至るまでは、僕は工藤遥が放つ愛と幻を見ていたいと思うのです。

工藤遥ファンクラブツアーin長野 HARU COUNT DOWN 19→20日記 中編

タコ部屋とYシャツと私

ツーショット撮影の後は空き時間が2時間ほどあるようでした。工藤遥さんが参加者全員と集合写真とツーショットを撮り終わるのを待つ時間です。僕達は部屋に荷物を置いて休んでいて良い時間のようでした。僕達は歓喜し、ホテルの売店が使用可能かどうか、喫煙所はどこか、おつまみはどの程度揃っているのか、部屋の冷蔵庫はどのくらいの大きさなのか等をすぐさま確認しました。飲酒絡みの仕事は誰よりも早い、それだけが自慢です。

売店は普通に使用可能でしたので400円超えの高級缶ビールを購入し途中購入していた酒やおつまみも全て部屋に担ぎ込んで冷蔵庫に入れました。2階建ての謎にオシャレな部屋でしたが、なんということでしょう、匠の僕達にかかればすぐに生活感溢れるタコ部屋に早変わりです。おそらくバスツアー参加者の中で最速で部屋を居酒屋化したグループではないでしょうか。トロフィーを獲得しました!最速王

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f:id:nakashima777:20191026155045j:plainその後は適当にダラダラ酒を飲んだり公式グッズの工藤遥柿の種のピーナッツ率の高さに驚愕したりして過ごしました。

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居酒屋自室でダラダラ過ごしているうちにいつの間にかトップリと日が暮れており晩ごはんの時間になっていました。立派なホテルバイキングで、その日はじめて食べるまともな食事でした。食べたいものを食べたいだけ適当に取ってきた茶色中心の汚いプレートをガツガツと食べた後、食後のプリンを飲んでいると、工藤遥がなにやら可愛い格好をしてサプライズでメシの場へ入ってきたので噴プリンしました。完全に油断していました。全く予想していなかったのと、ほろ酔いだった事もありあまり覚えていないのですが、可愛かったです。

ブログを書いていて気が付いたのですが、僕はなんにも想定していません。工藤遥のバスツアーに来ているのに工藤遥が出てくると毎回驚いています。一体なんなんだ…

待合室にて

メシを食ったあとは比較的短いインターバルで「グループトーク」という我々工藤ヲタにとっては未知のイベントがありました。

申し込み番号順にイベントの時間が指定されており、僕達はおそらく2回目のグループであるようでした。特に何も考えずぽーっとした頭でイベント会場に指定時間に行くと、会場前の通路に椅子が並べられておりました。会場では既に1組目のグループがグループトークしており、それが終了するまでの間そこで待機するようでした。待機椅子に座ると、にわかに緊張感が高まって来て、ソワソワしてきました。周りで待機している人々もどうやらそのようで皆さん椅子に座ってソワソワしておりました。

「この状況、なにかに似ている気がする、僕はどこかでコレを体験した事があるぞ」と思いました。そしてその答えに辿り着いてしまいました。僕は思ったことをすぐ口に出してしまう悪い癖があります。特に緊張してソワソワしている時はその傾向が顕著に出ます。僕は今まで何度もこれで失敗してきました。

「この状況、風俗の待合室みたいだな」僕は右隣に座っていた同行者にそう言いました。瞬間、場の空気が少しピリっとしたような気がしました。待機所の椅子は片側20脚ほどで、向かい側には僕達の次にグループトークをする人々が座っていました。僕達の後のグループの集合時間にはまだ少し早かったと思うのですが、気合の入った男性4人が腕を組み僕達の向かいに座っておりました。

僕の失言の影響もあったのでしょうか、向かいに座った4名はこちらをチラチラと睨んでいるようでした。そのうちの一人はこちらを見ながらモゴモゴと結構な音量でなにやら言っているようでした。それは結局ただの独り言のようでしたが、工藤ヲタとしてはマイノリティであるおじさんグループとおじさんグループの睨み合いに「この感じ、この緊張感、これもどこかで見たことがあるぞ」と僕は思いました。まだ僕らのグループは呼び込まれません。ソワソワ極限状態の僕はまた悪い癖を出してしまいました。

「ハカだ…俺たちは今ハカを鶴翼の陣で受け止めている…これイングランド対オールブラックスじゃん…」と僕は言いました。右隣に座っていた同行者は噴き出しました。その様子を見た対面の男性グループとの間で更に緊張感が高まりました。流石にそろそろヤバイかもしれないから何も喋らないでおこう、と思いながらふと横を見ると同行者はラグビーイングランド代表の主将、オーウェン・ファレルがニュージーランド戦でみせたニヤリ顔を作っていました。今度は僕が噴き出しました。

僕達はその後バスツアーの間何度も出会う彼らの事を敬意を込めて「オールブラックス」と呼びました。オールブラックスの中でも一際目立つ、かなりの音量で独り言を言い続ける選手の事は「オールブラックスの主将」と呼びました。

風神雷神

ラグビー試合開始前の緊張感を切り裂いて、前のグループが会場から出てきました。出てくる人達の表情は一通りではない気がしました。ものすごく満足した顔で出てくる人もいれば、そうではないように見える人もいました。僕はグループトーク経験者のふちりんさんから「グループトークは自分から話をしにいかないと話せない人が出てきます。僕は苦手だった」というような話を事前に聞いていました。6年ほど工藤遥と握手し続けているのに未だに一回もまともに話せた事がありませんので「僕もきっと苦手だろうけど、何か一言くらい話せると良いな」という気持ちで入場しました。

会場に入るとそこには20脚ほどの椅子が円形に並べられていました、真剣10代しゃべり場という番組を覚えていらっしゃるでしょうか。あの形です。ここでも申し込み番号順に座らされるようでしたのでスタッフの案内に従って自分の席に着きました。

僕が座れと指示された席に座ると僕の隣の席はひとつ飛ばして空席とされ、その隣からまた人が座らされました。対面には鈴木啓太氏が座っており、その他に空席はありませんでした。これはもう誰がどう考えても僕の隣に工藤遥が座るとしか思えないではないですか。あまりの事に僕は厳しい表情で腕組みをして虚空を見つめました。一つ空いた席のその向こうにいた同行者も同じようにしていました。鈴木啓太氏はそれを見て「風神雷神みたいになってる!」と評しました。僕達はそれを無視し、戦士の表情でただ虚空のみを見つめました。

工藤遥が部屋に入って来て、予想通り実際に僕の隣の椅子に座ったと同時に、僕は現実が脳のキャパシティーを超えていくのを感じました。緊張がオーバーフローして全く緊張していない普通の状態になってしまう、という事が僕には極稀に起こります。緊張は全く感じないのですがオーバーフローはしているので通常起こらないバグが出やすくなります。

この時も僕の脳にバグが発生していました。隣に座っている女性と会話する、という状況は僕の人生では「キャバクラ」か「飲み屋」でしか起こり得ませんでした。きっとこれからもそうでしょうが。この時は雰囲気的に「キャバクラ」ではありませんでしたので、僕の脳は自動的にそこを「飲み屋」だと判断しました。

僕にはそこが学生時代によく行ったつぼ八渋谷中央店の座敷に感じられました。同時にそこは池袋の甘太郎であり、秋葉原の晩杯屋であり、貸し切りの北千住つみき二階席でもありました。この脳のバグにより本来は飲み屋限定スキルである「あまり親しくない人とも会話を適当に組み立てて当たり障りの無い発言をし続けられる」という自動詠唱スキルが発動しました。

この15年、僕はなにもしてきませんでしたが、酒の場にだけはずっと行き続けています。人生に無駄なことなんてなにもない、などとは言いません。確実に無駄なことも人生にはたくさんあります。無駄な人生というものも、あるいは存在するのかもしれません。しかし僕が酒場に通って得た経験がここではプラスに作用しました。これは偶然の出来事ですが、しかし、人間は偶然に意味を持たせたがる生き物ではないでしょうか。全ての飲み屋にありがとう。

パラレルワールドの定食屋で

偶然といえば、鈴木啓太氏に風神雷神と評されたもう片側、つまり工藤遥の右隣にいた雷神は、僕に工藤遥に恋をしていると気付かせた男でした。6年前、僕より工藤遥と握手が盛り上がり、僕より先に名前を覚えてもらい、コンサートで爆レスを貰っている彼のことが羨ましいと心底思った時、僕は工藤遥に恋をしていることに気が付いたのです。まさか2019年になって僕とそいつで工藤遥を挟んで座る奇跡のスリーショットが出来上がると思ってもいませんでした。

脳がバグった僕がぽけーっと工藤遥の隣に座っていると、鈴木啓太氏がおもむろにトークテーマをくじ引きで選びました。トークテーマは「今欲しいもの」まずは工藤遥さんに話が振られました。

この雷神の先制パンチからはじまったグループトークの内容は鮮明に覚えています。いつも握手の内容などはほとんど記憶に残らないのですが、この時は脳がバグっていたからか、工藤遥の声の調子や会場の空気感まで全て覚えています。

工藤遥を狙っている固定カメラに映り込んでダブルピースをし「これも遺影にします」と言ったり、対面の女性が工藤遥に聞こえると思わずに発言した内容がたまたま場がシーンとした時だったので工藤遥に聞こえてしまい「え?なになに?」と言われて無茶苦茶挙動が不審になってしまっていたのを笑ったり、欲しい物の流れから欲しいグッズの話になり、昔出ていた工藤遥貯金箱の音声モノマネを披露しながらアレみたいなの欲しいと言った人が「モノマネに悪意あるよね」と言われてて確かに悪意がすごかったので笑ったり、その他諸々克明に記憶しております。

真横にいた工藤遥さんの顔はほとんど見られていなくてあまり覚えていないのですが、僕はそもそも横に座っているのが誰であろうが人の顔をガン見しながら話す、という事はないので、これは仕方ないことかもしれません。僕自身の様子も自分では分からないので覚えておらず、少し心配ではあります。ずっとよだれとか出てなかったでしょうか、心配です。

この日も僕は6年前と同じように雷神より発言の回数内容共に劣っていましたが、しかしそんな事はもはやどうでも良くなっていました。飲み屋で発言回数が少ないからといって別に凹まないのと同じ事です。僕はただただ工藤遥の前で普通に話す事が出来た事が嬉しかったのです。後で気が付いたのですが、僕はもしかしたら工藤遥の前で普通に笑ったのははじめてだったかもしれません。いつも握手ブースでは緊張からくる真顔か引きつった笑い顔しか出来ていなかったので。

グループトークの後半、話の流れで工藤さんは「最近男性のファンが減っている」というような事を仰っしゃりました。それは僕も常々ヒシヒシと感じていた事でしたので思わず「あ!お気付きでしたか!」と言ってしまいました。それに対して工藤さんは「そりゃあ気付くよ!」と言い、その後に「肩身狭いだろうに来てくれてありがたい」みたいな事を言いました。

工藤さん、僕は肩身なんて狭くないですよ。確かに若い女性が多くて気を使う場面は多いですが、別に無理して来ているわけではありません。そもそも僕は普段の生活から常に肩身が狭い。おはようからおやすみまで肩を縮こめて生きています。肩幅20センチの世界で生きていて、それに慣れきっています。僕みたいなものを気遣わないで下さい。泣きたくなるから。優しいかよ。慰められると余計に泣きたくなると桜木花道も言っておりました。

グループトークというイベントで「工藤さんとの距離が近くなった!」とは思いませんでした。ただ、「工藤さんが飲み屋に来てくれたらこういう感じなのかな」という妄想は捗るようになりました。 

工藤さんと隣あって話していると、近所のガキと話をしている感じがしました。そう、例えば行きつけの定食屋の娘かなんかです。僕は定食屋の近所に住む10年来の常連で、工藤さんは小学生の頃から店の手伝いをするしっかり者の娘さんです。最近は東京の大学に通いながら何か目標に向かっているようで店に出る機会は減っていますが、そんな中でもたまに店の手伝いに来る娘さんが二十歳になった誕生日、一緒に店で酒を飲みながら他愛のない会話をしている。そんな自分が想像出来るようになりました。そういう世界が並行宇宙のどこかに存在していたら。そう考えるだけで僕の心は少し温度を取り戻すのです。この薄ら寒い宇宙で生き続けているというのに。<つづけ>

工藤遥ファンクラブツアーin長野 HARU COUNT DOWN 19→20日記 前編

くぎょう【苦行】
〘仏〙 肉体にきびしい苦痛を与え、それに耐えることによって悟りを得ようとする修行。断食・不眠など。 「 -僧」

バスツアーは正に苦行であります。まず7万円という価格設定によるきびしい苦痛、長時間のバス移動による苦痛、前日のワクワク感から来る不眠による苦痛、初対面のオタクとの共同生活という苦痛、その他ありとあらゆる苦痛が詰め込まれた苦痛ビュッフェ形式。そしてその先に待つそれら全てを吹き飛ばす工藤遥との邂逅。大量の苦痛をほんの微量の喜びが吹き飛ばしてしまう、ような気がする、というのは人生そのものにも似ています。バスツアーは苦行であり、人生であります。

最近の僕は工藤遥にそんなに興味がないと思われているようで、知り合いのうち幾人からは「工藤さんのバスツアー、よく行く気になったね」や「工藤さんのバスツアー本当に行くの?」などと言われました。それはそう的外れな意見ではなく、僕自身も少なくとも2年前ほどの熱意が自分にあるとは到底思えないのですが、僕は不思議なほどあっさりとバスツアーに行くことを決めていました。そう言われて逆に「あれ?どうしてこんなにあっさりとバスツアーに行くことを決められたのだろう」と思ったほどでした。

僕は苦行が好きなんだと思います。肉体的、精神的に自分が追い詰められれば追い詰められるほど楽しくなってきてしまうのです。痛めつけられていると生きている実感が湧いてきます。しかしそれはやはりお釈迦様も仰っている通り悟りの道とは程遠い。今回のバスツアーでも全く悟る事は出来ませんでした。ただただ僕は苦行そのものと工藤遥が大好きなのだと気が付いただけでした。大好きだ苦行が大好きだ僕は全力で走る。しまっておけない大声バスツアーレポ。開催から一ヶ月も経ってしまいましたが、僕自身の備忘録として記録しておきますので暇つぶしにでもどうぞ。 

アルマゲドン 

工藤遥バスツアー開催決定を知った時、僕自身がバスツアーに行くことは0.5秒で即決したのですが、誰と行くか、という事については少し考えました。僕は出来れば工藤遥がアイドルとして最後に開催したバスツアーで同部屋だった人物とまた同部屋にしたいと考えていました。しかし2017年の10期バスツアーで同部屋だった4人はもう誰もマトモに工藤ヲタをやっておりませんでした。

まあ当時から僕も含めて誰も「マトモ」ではなかったような気がしますが、2年という月日は更に僕達をマトモではなくしていました。一人は新たな恋をして、その女に似た他のアイドルを好きになっていました。また一人はリアル世界で多数の女のケツを追い回しておりました。もう一人は好きなアイドルが突然なんの予告も無く消えてしまいショッキングを受けていました。そして最後の一人は糖尿病が進行した上に愛車が追突事故を起こされて全損しておりました。人生いろいろ、男もいろいろ、オタクだっていろいろ咲き乱れるの。

「イカれたハミ出しモノ達だが仕事の腕は確かだ」僕は映画アルマゲドンの序盤で仕事仲間を集めるブルース・ウィリスのような気分で4人に連絡しました。誰も来ないかもしれないな、と思いながら。結果としては全員二つ返事でOKでした。なんなんだコイツら、イカれてんのか、と思いました。

あらかじめ決められたトイレ休憩たちへ

というわけで同行者がすんなり決まり、申込みの手続きも何も考えずに速攻でやって酒ばかり飲んで寝ていたところ、気が付いたらバスツアー当日の朝になっておりました。案の定前日は全然寝られず、1時間ほど気を失ったのみで朝7時の東京駅に到着しました。同行者に連絡してみたのですが誰からも返信が来ませんでした。出発時間ギリギリに一人また一人と寝ぼけた顔のおじさんがLINEに返信しないままノロノロと集まって来ました。

乗り込むバスの座席表を確認すると僕達5人にあてがわれていた席は「修学旅行で不良が座る席」つまり最後列の5人席でした。「ピッタリの席じゃないか」と思ったのですが、実際座ってみると思った以上に席が狭く「これは厳しい戦いになるな」という予感がバリバリにしてゾクゾクしてしまいました。

バスが出発してすぐに添乗員のキレイなお姉さんがその日の行程をざっくりと説明しはじめました。その中でサラっと「行きのバスの乗車時間は6時間を予定しております」と言い放ったので僕は流石に聞き間違いだろうと思いました。もちろん聞き間違いでも言い間違いでもなく、バスはその後キッチリ6時間走りました。

このブログでも何度か書いている通り僕は頻尿気味です。バスツアーに最も向かない人間です。観劇やコンサート鑑賞にも向いておりません。頻尿の人間はオタクに向いておりません。しかし僕はオタクになってしまった。頻尿気味でもオタクがしたい!

バスが走り始めて2時間弱経った頃、僕の膀胱はかなりヤバめな状態になっており、ただひたすらトイレ休憩を待つ「耐える時間帯」に突入していました。そこへ添乗員さんからの無慈悲な言葉「予定が少し遅れておりますのでトイレ休憩をひとつ飛ばして他のバスとの合流地点のパーキングへ行く事にしたいのですが皆さんどうでしょうか」

僕は「どうでしょうか」の部分にかぶるくらいの速度で最後列から「無理です!」と声を上げ両手で大きなバッテンを作りました。こうしてバスは僕の膀胱の都合により本来なら飛ばすはずだったパーキングに突っ込む事となりました。バスからダッシュで飛び出して走り込んだトイレで白の太のヤツをやべ~勢いですげー出しながら「弱者が声を上げあらかじめ決められた事を覆していく、そういう時代だ…」と思いました。

バトル・ロワイアル 

バスは結局短いトイレ休憩2回と長めの昼食休憩一回、計3回の休憩のみで6時間走りました。車内では工藤遥さんの車内で流す用DVDが1時間半ほど流れました。これがまたユルい作りで「登録者100人のYouTuberでももうちょっと編集するだろ!」というくらいほとんど編集なしでダラダラ喋る工藤遥さんが収録されており最高でした。「皆さんをお迎えするウェルカム横断幕を作る」という企画でも無言でペンキに刷毛を投入して文字を書く工藤遥が映り「シャ…シャシャシャ…」という刷毛が布を撫でる音だけがする、という謎の映像が続き「我々は今何を見せられているんだ…」という感じがして最高でした。

工藤遥が喋ったと思ったら「え?Hの字大きすぎたかな、これ入るかな…」などとボソボソと言うのみで一緒に文化祭の準備をしている気分になれました。ガガガSPの祭りの準備という歌を思い出し少し感傷的になりました。あとDVD全編通して工藤さんの顔が妙にテカテカしており「肌ツヤが良い!うむ!」という感想を抱きました。

昼休憩は他の休憩に比べれば長めだったものの、30分程度でメシを食ってすぐに帰ってこい、という中々厳しいモノでした。僕はどうもそこで昼食を食べる気がせず、地元農産物販売所で見つけた2個250円のりんごを丸かじりで食べました。アメリカ人の昼食みたいになってしまいながら外の喫煙所に出て辺りを眺めました。

この時点で僕達はまだどこに行くのか知らされておりませんでした。しかし6時間もバスに乗る事、景色がどんどん山に近付いている事等を考え合わせ「我々はかなり山深いところへ連行されるのだろう。宿泊する施設の近所にコンビニなどないような場所である可能性が高い」という読みを入れて昼食休憩施設で酒とつまみを少量ではありますが購入しました。

結局この読みは残念ながら当たってしまい、リゾート価格のビールのみのホテル売店で酒を買い足す事にはなってしまうのですが、ここで購入したつまみと自宅から持参したキンミヤ焼酎には深夜助けられました。バスツアー2周目だったから出来た立ち回りだったと思います。さながら映画バトル・ロワイアルの山本太郎。山本太郎のやってた役、最終的に死ぬけど。

想定外の邂逅

昼食休憩のあともバスは2時間ほど走りました。うつらうつらとしたり流れ行く車窓の景色をボーッとみたりしていました。正直言って工藤遥のバスツアーに来た、という感覚はほとんどありませんでした。ただただ眠さ、硬いシート、腰の痛み、退屈、膀胱破裂の不安等に耐えている、そういう感覚でした。行き先の分からない山道をいつ着くのか分からないまま走り続けるのは精神的にも肉体的にもそこそこツライことでした。僕はボーッとしすぎてくたびれてしまいました。そんな僕の事は当然無視してバスは曲がりくねった山道をズンズン進み、シーズン外れのどんよりと曇ったスキー場に到着しました。

どうやらそこが今回の宿、そしてその日のイベントを消化する会場であるようでした。僕は「やっと着いた…」という気持ちのみでバスを降りました。疲れていて先に降りていく人々やバスの外の空気感に気付かなかったのです。パチンコ屋に並ぶ寝起きのおっさんのような顔でバスから降りるとそこでは工藤遥本人がオリジナルラバーバンドを配りながらバスから降りてくる人々に一声かけていました。僕はそんな所に工藤遥がいるとは思ってもいなかったので「うわ!いる!あ、アザス…」という最悪の対応しか出来ませんでした。工藤遥からなにか言われたような気もしますが何も覚えていません。 

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工藤遥を見たら元気が出てしまい工藤遥お手製のゲートをくぐって入場する頃には僕は元気モリモリになってしまっていました。自分でも少し恐ろしかったです。人間の身体と精神はかくも簡単に元気になってしまうものでしょうか。なんかヤバイモノを摂取した気分になりました。

遺役

やっと生工藤遥に出会えた僕はゲートを意気揚々とくぐり、僕同様心なしか元気になったように見える同行者達と共に雪の積もっていないゲレンデに申し込み番号順に並ばされました。我々は名字と番号で管理されていました。たまりませんね、この修学旅行感。僕の場合は囚人感の方が強くなってしまいますが。

工藤遥と鈴木啓太氏が出てきて朝礼のようなものが始まりました。午後2時の朝礼で何をやったのかあまり覚えていませんが工藤遥さんが「おー!」みたいな事を言っていたので「おー!」と言いました。その後は工藤遥さんを中心に据えてゲレンデをバックに集合写真を撮りました。卒業文集の集合写真の出来上がりを見た友人に「お前、ワイドショーに出てくる凶悪殺人犯の写真みたいだな」と言われた集合写真写り悪すぎスキルをこの時も遺憾なく発揮しました。写りが悪いのではなく単純に僕の顔面が凶悪犯顔なだけかもしれません。

その後はツーショット撮影がありました。僕は工藤遥と写真を撮る時、常にそれを「遺影」にしたいと思って撮っています。2015年くらいからずっと。それを撮って自殺しようと思っているわけではありません。その写真さえあればいつ死んでも後悔しないような写真を撮りたいと思っているのです。あと単純に葬式で使う写真ないだろうから使える写真を撮りたいという気持ちもあります。あんまり誰も理解してくれないのですが。

当然工藤遥さん本人にもあまり理解してもらえていないようで、ポーズ指定の時に「この写真を遺影にしようと思っているので横で良い顔をしてください」と言ったら「はぁ?」みたいな顔をされ、撮り終わった後に「なんで遺影とか言うの!死なないで!」と言われました。

先程書いたように僕は別に死ぬ気はないですし、あと写真撮り終わった後に話せる時間があると全く思っていなかったのでプチパニックになってしまい、どんな顔でどう返答したら良いかわからなくなってしまいました。結局僕は真顔のまま「工藤さん、人は、死にます」と答えました。工藤さんは困ったように笑い、僕は「一体自分は何を言っているんだ」と思いすぐに席を立ちました。ツーショット会場出口に足早に向かいながら未練がましく後ろを振り向くと、工藤さんは既に次の人に向かって手を振っていました。僕の哲学はリゾートホテル地下の宴会場に吸い込まれ、そしてどこかへ消えてしまいました。<つづけ>


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中年無業者と炎上女優

僕には死にたい夜が無い。ただ面倒な朝だけがもんわりと続いている。どちらも死んでしまえば解決するような気がするが、どちらかというと後者の方がひどい状態にあるのではないかと思う。

悲しいことやツライことや忘れたい事がある時、通常は日常の忙しさの中に埋没していく、というような事になるのだろうが、残念ながら僕は忙しくない。昼間の公園で日向ぼっこをしながらボーッと考えている。他にやるべき事もやりたい事も特にない。

 

ニートにも定年がある事をご存知だろうか。厚生労働省の定義によるとニートは「 総務省が行っている労働力調査における、15~34歳で、非労働力人口のうち家事も通学もしていない方」ということらしいので35歳からは「ニート」ではない。

それなら35歳以上の「元ニート」はなんと呼ばれるのか。調べてみるとどうやら「中年無業者」らしい。えっ…いきなり名称の絶望感爆上がりしすぎじゃない…?と少し引いてしまったが、他に特に良い名称は見つけられなかった。

僕は「中年無業者」になった。

 

ワラサがブリになる時に本人の意識が変わらないように、中年無業者になった僕にもその自覚は無い。呼ばれ方が変わっただけだ。 ただ、今年の誕生日を迎えた時に僕は國府田マリ子のあのコピペを思い出した。

「國府田マリコのおっかけをやって10余年が経過した。」から始まる有名な文章だ。「國府田マリ子のおっかけをやっていたせいで空っぽの30代になってしまった。おっかけは何も生み出さない」というような内容なのだが、僕は昔からこの話には違和感がある。

國府田マリ子のおっかけをやっていなければ空っぽの30代にはならなかったとなぜ言い切れるのですか?という疑問がその違和感の源だ。おっかけをやっていなくても空っぽの30代にはなるし、むしろこの場合そうなっていた可能性の方が高いような気がするのだ。

もちろんコピペ内でも言及されているようにアレは「グチ」である。グチを言いたい時もあるだろう。それはわかる。それでもあの文章の根底に「おっかけをしていなければ良い人生になっていた」という確信めいたものが感じられる。僕はそうは思わない。僕には工藤遥のおっかけをしていなくても空っぽの30代になっていたという自信がある。

 

僕がボーッと35歳になっている間に工藤遥のSNSの更新は止まった。二度ほど立て続けに炎上したからだ。特撮の仕事が終わってからいくつか新しい仕事が発表され、CMにも出演するタイミングでの事だった。インターネットの片隅に工藤遥が「炎上女優」と書かれているのも見た。

僕は「炎上」には詳しくない。「炎上」したこともさせたことも無い。あんまり興味が無い。例えば仮に殺人を犯した芸能人がいたとして、その人物がネットで叩かれてもそれを「炎上」とはおそらく言わないだろう。多くの「炎上」はくだらない事がきっかけで起こるのではないか。だとしたらアレは確かに炎上だろう。

遊園地の車のボンネットに乗って写真を撮ったのは確かにそこそこ悪いことかもしれない。しかしちゃんと謝ったら許されるような事でもあると思う。実際この件については謝罪した後SNSの更新は続けていた。

ミルクティーの件に関しては本当にくだらないなと感じた。これに関してはCM絡みでスポンサーがついていたのが事が大きくなった原因で、芸能人は大変だ、という感想しかない。でもそれが彼女の商売である。ミルクティーを飲む男が嫌いだ、という意見を引っ込めることで得られる利益があるならばそうするのが正しい時もあるのだろう。たとえどれだけくだらなくても。僕にはよく分からないけれど。

個人的には「ミルクティーを飲む方に対する配慮に欠けた私の発言により」というブログでの謝罪文が妙に面白かった、というだけの事件だった。

工藤遥がどちらかというと炎上体質である事は間違いない。工藤遥は調子にノリやすいヤツだ。根が川口のヤンキーなのだ。川口のヤンキーは車のボンネットくらいには乗る。僕は彼女のそういう所が好きだ。彼女のそういう所が嫌いだ、という人がいることも理解は出来るが少なくとも何年も前のブログを掘り返して叩くような事でもないんじゃないだろうか、と思う。

炎上自体への評価はともかく、それがきっかけで工藤遥がブログを含めたSNSをほとんど休止状態にしたのは事実だ。彼女はモーニング娘。にいた頃から非常に頻繁にブログを更新していたので、このような事態は工藤ヲタにとってほとんど初めての体験である。悲しんでいる人が多いが正直言って僕はなんだか少しホっとしている。過剰に膨らんだ幻から少し離れるきっかけが得られたと思った。

 

そんな事を言っていたら「もうそんなに工藤遥の事を好きじゃないんじゃないか」と言われた事がある。

確かに最近工藤遥の事をそんなに沢山はツイートしない。工藤遥の事を考えている時間も減っていると思う。新しいアイドルグループを見に行く事も増えた。工藤遥の時と決定的に違うのは女性として好きにならないように気をつけながら行っているという事だ。言い方は悪いがその程度の気持ちでしかアイドルを見られなくなった。「その程度の気持ち」を保たないとアイドルが見られない。不安だからだ。

デビューしたばかりのアイドルは新鮮で面白いし、歌やダンスの実力があったり楽曲が好みのアイドルには目を引かれる。そういうものを基準に見るアイドルを選ぶようになった。しかし僕はこれを「健全なオタク」だとは全然思わない。もっとこう腹の底から溢れ出してくる何かが無いとダメなんじゃないのか、と思う事がある。少し真面目過ぎるかもしれないが、僕は本当にそう思うのだ。

そんな折、工藤遥が出演する朗読劇を見に行った。その劇では最後に主人公を演じる俳優と工藤遥が抱き合うシーンがあった。僕はそれを見て「…ファッ!」という声を思わず出してしまいそうになり必死で圧し殺した。手にした借り物の双眼鏡を握りしめて硬直した。まだそんな感情になる自分にびっくりしたが少し嬉しかった。僕はまだ人間の心を持っているのだと思った。

そんなに無理をしてまでアイドルを見る必要はないと思うし、実際に他の趣味に充てる時間も増えたが、結局の所なんとなく付きまとう寂しさに勝てない。僕は誰かを好きになりたいんだと思う。「そんなもの身近に誰かを探すべきだろう」という正論を言われる事がある。そんな時、僕はいつも火垂るの墓の清太のセリフが頭によぎる。「栄養失調を治すには滋養をつけるしかない」と医師に言われた時の清太のセリフだ。「滋養なんて、どこにあるんですか!」

 

2月に開催された工藤遥のソロイベントでのMCを聞いて僕は「工藤遥が僕(たち)が見たがっている幻を見せようとしてくれている、少なくともそうなるように努めている」と感じた。何を言ったのかはあまりよく覚えていないがそう感じたことははっきりと覚えている。結構直接的にそう言っていたような覚えがある。そのソロイベントに伊藤あさひ君が来ていた事を知って頭がパッカーンとなり酒を飲みすぎてしまったのはまた別の話だ。

工藤遥が作り出した幻は工藤遥自身にもある程度は見えている。人間工藤遥はそれに影響される。彼女自身が幻に影響され、それを調整する。僕もそれを受けて彼女の幻を作り上げて調整する。それがどこかでピタリと一致する事がある。それは非常に安定した状態で、安定した状態を「幸せ」と呼ぶのなら、それは幸せの形の一つだと思う。

完璧に一致させるのは難しいし、維持するのは更に難しい。僕は今の所それは人間には不可能なのではないかと考えている。でも僕はそれをやろうとする人間の事が好きだ。その幸せの形が見てみたい。

 

工藤遥がSNSを更新しなくなってからしばらく経ったある日、僕は思い立って丸めたままだった工藤遥のカレンダーを部屋に掛けてみた。悪くないな、と思った。僕は工藤遥のカレンダーを自宅の壁にかけても胸が張り裂けそうになって苦しまない人間になっていた。

はっきり言って面倒な事の方が多い。工藤遥の事だけ考えていられた時の方が「幸せ」だったんじゃないかと思う事もある。そしてそれはある程度正しい。人生というのはこんなにも面倒なものだったのだ。

 

この6年間、僕はただ幻を追っていた。それは事実だ。でも僕自身も工藤遥自身も実はそこに存在していた。人間の僕らがそこに、ちゃんと。ならばそれは徒労ではない。

僕は工藤遥の夫にはなれないだろう。誰の夫にも父親にもなれない可能性が高い。社会的に偉い人にもなれないだろう。暗い底辺を這いずり回るように生きる事しかできないかもしれない。明日死ぬ可能性だってゼロじゃない。でも、それでも、良いんじゃないか。

僕に幻を見せようとしてくれた工藤遥という優しい人間がそこにいて、僕はそこで生きた。それだけで結構な事なんじゃないか、と今は思っている。

これからも工藤遥がどこかで笑っている世界に僕は生きていたい。そして願わくば僕も、誰かに笑ってもらえる優しい人間になりたい。

 

 

まあでもたまには姿を見たい。握手もしたい。バスツアーなんかもあったら行きたい。飲み屋で一緒に飲めたらそれはかなり楽しいと思う。希望を持つのは自由だ。僕はどこかで野垂れ死ぬまで幻を見続ける覚悟を固めた。バッチコイ。

 

オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな このはてしなく遠い中年無業坂をよ…

未完

 


モーニング娘。 『いいことある記念の瞬間』

 

さよなら僕の恋心

2018年10月27日、工藤遥が19回目の誕生日を迎えた日の夜、僕は都内のレンタルルームで女性を待っていた。「推しメンの誕生日にはケーキを買ってお祝いをする」みたいな文化があるが、僕はどうもアレには馴染めない。それが本気のモノであれ自嘲気味のネタ風味なものであれ、僕の気持ちの乗せどころがあの行為には無いと感じるからだ。飲みすぎて倒れ知り合いのマンションのソファで目を覚ましたその日の昼「ああ、今日は風俗に行こう」と見慣れた天井を見上げながら思った。それが僕にお似合いの過ごし方だ。

レンタルルームで数分間そわそわしているとドアがノックされた。扉を開けるとブレザーを着た若い女性が立っており、僕は3畳ほどの狭い部屋に彼女を迎え入れた。「ハロウィンで街がざわついててウザい」というような事を言いながら女性はコートを脱ぎ、ベッドに腰掛ける僕の隣に座った。漫画喫茶のフラットシートのような安っぽいベッドからビニールに肌が擦れる音がした。少し雑談をしてから彼女が慣れた手付きでタイマーをセットしたその瞬間、僕は「ありがとうございます」と言いながらおっぱいを触った。なにそれ、と彼女は笑った。僕は風俗でおっぱいを触る時、心の奥底から「ありがとうございます!」という気持ちが湧き出し、時にはそれが声に出てしまう。メチャメチャ苦しい壁だってふいになぜかぶち壊す勇気とPOWER湧いてくるのは風俗で揉んだおっぱいのせいだったりするんだろうね、ア・リ・ガ・ト・ウ・ゴ・ザ・イ・ます!という気持ちが全面に出る。その日も感謝の気持ちでおっぱいを揉んでいると彼女が言った。

「乳首つねって…」

誇り高き素人童貞として生きて来た。「風俗で相手をしてくださる方には最大限の敬意を払え」というじっちゃんの教えを頑なに守り、風俗に行く日の朝には二度くらいシャワーを浴び、爪切りを欠かさず、基本プレイに忠実でオプションに含まれていない行為には一切及ばない。退店する際には「どうもお世話になりました」と女の子と黒服に深々とお辞儀、相手をした方には「体毛が濃かった」「勝手にイったから楽だった」以外の印象を一切残さず風のように去る。そしてもう二度と同じ女の子は指名しない。だって、好きになっちゃうから。それが僕が15年風俗に通って身につけたプレイスタイルだった。じっちゃんの名にかけて僕は紳士たろうとして来た。19歳の夏、土浦のファッションヘルスで太った黒ギャルに無断で童貞を奪われてからずっとだ。

そういうワケで僕は非常に戸惑った。乳首つねりは基本的にNG行為である事が多いからだ。とはいえ相手からの要求を断るのも紳士としてはどうなのだろうと思い僕は乳首つねりに挑戦する事にした。全く力加減が分からず、とりあえず弱めにしていたところ「もっと強く」とすぐに要請が入った。大丈夫だろうか、ポロっと取れたりしないだろうか。心配しながら力加減を調整する。職人のような顔で乳首をつねっていると性欲はどこかへ消え、ただ乳首をつねる事のみに集中していた。

10分ほどそうしていただろうか。突然、もう一人の僕がプレイルームの天井から乳首つねり職人の僕と身体をくねらせる彼女とを見ているビジョンが頭の中に浮かんだ。自分は一体なにをしているんだろうという気持ちがフツフツとわいた。これはもはやただの乳首つねりではない。そう、これは礼拝だ。

 

アイドルオタクを辞めてそれまで一度も行ったことの無かった風俗にドハマリした知人がいる。ある時彼は「風俗は握手会と同じだ」と言った。僕にはその発想は無かったが、その発言を聞いた時「確かにそうだ」と思った。

「アイドルの握手会なんて風俗みたいなものだ」などという話ではない。「風俗嬢はアイドルなのだ」という話でもない。「同じ」なのはそこに通う僕達、それと場所が持つ機能だ。 握手会も風俗も「礼拝空間」としての機能を有している。

僕はアイドルへの恋について「幻に恋をしていた」と書いた。それは祈りに似ていると思っていたが違う。幻から逃げ出してから気が付いた。「幻への恋」は祈りそのものだったのだ。

僕は工藤遥が作り出した幻から好かれたいと思った。それは祈りだ。工藤遥を介して愛されていると感じたいと願った。これも祈りだ。工藤遥と意志の疎通を図りたいと思った。これも祈りだ。その祈りを言葉にして、あるいは言葉にせずとも強く意識する場所である握手会や風俗のプレイルームが礼拝空間でなくてなんだというのか。もちろん「握手会や風俗にそういう気持ちでは通っていない」という方も居るだろう。でも「祈りの対象」を必要とする人間、孤独な中年男性及びそれに準ずる者達にとって間違い無くそこは「礼拝空間」だ。少なくとも僕にとってはそうだった。

アイドルへの恋は祈りだ。風俗嬢への恋も祈りだ。僕達は彼女達が職業上作り出した幻に祈っている。祈りの大部分は多くの祈りがそうであるように叶うことはない。それでも僕達は祈らずにはいられない。祈る対象の無い日々は叶わない祈りを捧げ続ける日々よりも苦しいからだ。

「アイドルに祈る」ことについては賛否あるかもしれない。偶像を崇拝する事に拒否反応を示す人は沢山いる。僕は虚像を作り出す事自体は悪い事ではないと思っている。幻を思う気持ちが暴走し、幻の根源に危害を加えることは悪い事と言えるかもしれないが、幻を見ることそれ自体は善くも悪くも無い。そもそも他人に全く幻を見ない事など不可能ではないのか。人は多かれ少なかれ他人に幻を見ている。そう考えると、もしかしたら「全ての恋は祈りだ」とも言えるのかもしれない。しかし僕にはそれは出来ない。「普通」の恋の経験や知識が著しく乏しいからだ。アイドルと宗教や信仰や崇拝の話を詳しくする力も今の僕には無い。現在の僕が書く事が出来るのは僕の事だけだ。

 

工藤遥の誕生日の約一ヶ月後、神保町で工藤遥カレンダー発売記念握手会が行われた。工藤遥と握手をした帰り道、僕は酩酊して記憶を失くした。何を話して何をしたのか全く覚えていなかった。僕は彼女にまた何かを祈りそうになってしまったのだと思う。意識を断絶しなければならないと感じたのかもしれない。泥酔しようと思ってしたワケではないが、そう考えるしかないように思う。

翌日、意識を取り戻した僕はあの日と同じソファで天井を見上げていた。不思議と二日酔いは無く、ただ記憶だけがスッポリと抜け落ちていてまるでタイムトラベルでもしたような気分だった。 その日は知り合いのガチ恋おじさんふちりんさんが姫乃たまさんという方のトークライブに出演してガチ恋について話すというイベントが予定されていた。酒を飲むために遊びに行ったら僕も少し話す事になってしまった。非常に楽しいイベントで、程よく酔っ払っていたのであまりよく覚えていないのだが、姫乃たまさんの言っていた事でいくつか印象に残っている言葉がある。彼女はまず「私はそこまで人を応援出来ない、入れ込めない」というような事を言った(と思う。間違っていたら訂正する)これは印象に残った。何故なら僕もどちらかというとそういう人間だからだ。僕は僕がこんな風になるなんて想像もしていなかった。これは今になって思うのだが、僕があんなに入れ込めたのは、その対象が人ではなく幻だったからではないかと思う。

もう一つ印象に残っているのは(こちらは先程よりも正しく覚えている自信があるが間違っていたら訂正する)僕やふちりんさんに対して「自分を客観視できるガチ恋オタクなんだね」というような事を仰っていた事だ。姫乃たまさんは明らかにポジティブな意味で使っていたのだが、僕はどうもその言葉をストレートに喜ぶ事が出来なかった。

僕は「自分が見ているものが幻だ」という事に早い段階で気が付いてしまった。幻でない「工藤遥」が見たくて苦しんでいたような気がする。何度も言うが工藤遥は人間だ。だから完璧な幻は作れない。幻の隙間から垣間見える「本当の工藤遥らしきもの」を目を皿のようにして探した。それを見つける度に僕は歓喜し、彼女の作り出す幻はその都度強化された。垣間見える(ような気がしていた)「本当の工藤遥らしきもの」を自分の都合の良いように解釈し幻に取り込んでいくのだ。これは非常に危険だと頭では分かっていたが止められなかった。それに夢中で他の事はほとんど考えられなくなっていたからだ。それが「祈り」でそれが「幻」だと気が付かないほうが少なくとも主観的には楽しく生きられる。しかし、僕はもうそれを頼りにする事が出来なくなってしまった。

「風俗は握手会と同じだ」と言った彼は風俗嬢に恋をした。僕は彼のことを心底羨ましく思う。僕は祈る対象を失くしてしまった。

 

同じ時期に脳腫瘍を切り取ってから半年の検診を受けた。MRI画像に写った僕の脳からは脳腫瘍がキレイサッパリ無くなっていた。残ったのは頭の傷だけだ。医者にも「ここまで経過が良好なのは珍しい」と言われた。

さよなら脳腫瘍、そして僕の恋心。切り取られた腫瘍に僕の恋心の全てが詰まっていたのではないかと思う。僕はもう何も信仰出来なくなったのではないか、祈りを捧げる事が出来なくなったのではないかと不安になる事がある。僕はもともとそういう人間だったのだろう。何も信じずに生きていける強さを持った人間などではない。何かを信じて裏切られるのを恐れる弱い人間だ。子供の頃から何かを強く信じている人を見る度に疑問に感じていた。なぜそこまで何かを信じられるのか。何かを信じるという行為は不安定な足場でそれに体重を預けるようなものだ。信じているそれが崩れたら床に叩きつけられる。足場からも落ちてしまうかもしれない。そしたら痛いじゃないか。そんなのは嫌だ。そう思って生きていたら、足場そのものが崩れ落ちて底の見えない谷底に落ちてしまった。何かを信じていようがいまいが落ちる時は落ちるものだ。

落ちた先の谷底はしかし、そんなに悪くない。痛いのは痛かったが少なくとも死にはしなかったし、谷底の足場は固くて広い。これ以上下に落ちるのは今の所は難しそうだ。辺りは真っ暗で何も見えず誰も居ないが寝るには最適の場所である。少し眠って起きてから考える事にする。

  

特撮ヒロイン工藤遥について

テレビ朝日の特設ステージでトークショーを行う工藤遥は僕を見ず、僕も工藤遥を見ていなかった。工藤遥はヒーローショーを観に集まった幼児達や司会や共演者を見た。僕はぼーっとどこか虚空を見つめたり、工藤遥と同じように集まった幼児達を見ていた。

普段の生活で幼児と接する機会は無い。こんなに大勢の幼児を見たのは自分自身が幼児だった頃以来だ。一通り幼児達の新鮮なリアクションを確認した後、その親達も見た。おそらく僕と同じくらいの年齢だろう。トークショーの終わりに客席に降りてきた工藤遥は幼児達と嬉しそうに触れ合い、僕はそれを茫然と眺めた。人形を2つ握りしめて。僕はそこにいてはいけないような気がしていた。

 

トークショーに行く2ヶ月ほど前、僕は脳腫瘍の摘出手術を受けた。手術の後、全身麻酔から目覚めた僕は医師から簡単な検査を受けてHCU(高度治療室)に入れられた。比較的重篤な患者が大部屋に集められ、24時間体制で看護師や医師が常駐している。一晩中ベッドサイドモニタのアラームがあちこちで鳴り響きカーテンで仕切られただけの隣のベッドからはうめき声が聞こえる非常に不快な場所だった。

手術直後で頭と顔が腫れていたためにメガネもかけられず周りに何があるのかもよく分からない僕はただうめき声と看護師の走り回る音、ピーピーうるさいアラーム音を聞きながら眠っているような起きているような状態で過ごした。

寝返りを打つと下半身に違和感がある。どうやら尿道にはカテーテルが通っているようだった。これも不快だ。さらに不快だったのは頭に刺さっていた管から流れ出る赤黒い液体が傍らにあるビニール袋にドクドクと溜まっている事に気付いた時だった。ドレナージと呼ばれる処置で要は廃液処理だ。

頭の管を邪魔くさそうに触る僕に気付いた看護師が「余分に溜まる髄液を排出しているのだ」と説明しはじめたが、ちょうど痛み止めが切れたようで頭に激痛が走りそれどころでは無くなってしまった。僕は痛み止めを頼みそのまま眠った。

次に目を覚ましたのは隣のベッドで一晩中うめき声を上げていた男性が一際大きな声を上げ、ベッドがどこかへ運ばれていく時だった。彼が運ばれたのが手術室なのかICUなのか分からないがとにかく病状が悪化してどこかへ運ばれた事だけは分かった。

若い女性の看護師がやって来て僕の身体を拭いた。僕はその感触をどこかで味わった事があるような気がして記憶の迷路を辿ったが、辿り着いたのは御徒町の韓国アカスリだった。僕の頭の記憶の迷路、どうしようもない。ナナという名前の妙齢の女性のことを僕は思い返していた。このサービスが付いて健康保険で実質無料!3食付いてるしお安い!と思いながら数分間身体を拭かれたが性的な興奮は全く無かった。ただ頭が痛かった。頭がすごく痛いと性的衝動が蘇らないんだなあ、とぼんやり思いながらただ身体を拭かれた。

腹が減っているのを感じて身体を拭かれながら「すいません、腹減ったんですけど食事って食べられるんですか?」と聞いた。看護師は朝食までまだ1時間ほどあるが食べられるようなら食べて良いので用意すると答えた。どうやら数時間ほど眠っていて今は早朝らしい。HCUへの携帯電話の持ち込みは禁止だったので何時なのか把握するのに難儀した覚えがある。

1時間後に出てきた朝食を僕は痺れる右手で箸を持ち強烈な頭痛に耐えながら全て平らげた。数時間後には尿道のカテーテルを引っこ抜かれて(非常に不快だった)点滴を引き摺りながらトイレに行けるようになった。その数時間後にはドレーンも抜かれた。管が入っていた頭の穴はホッチキスで雑に止められた。

HCUには丸二日勾留された。携帯持ち込み禁止で特に暇つぶしも用意していなかったその間はぼーっとして過ごしていたが工藤遥の事は特に考えなかった。ただ痛みに耐えメシを食い眠った。そこでは「工藤遥」ではなく痛み止めの点滴と食事と睡眠が僕に必要だと感じた。工藤遥に願った所で彼女が僕のためにホームランを打ってくれるワケではない。ベーブ・ルースにホームランを打ってもらえなかった病気の子供も沢山いるだろう。願っても叶わない事の方が世の中には多い。HCUではそう思う。しかしアイドルの現場では願えば叶うような気がしていた。人は幻を見たがる。

一般病棟に戻る事を許可された僕は車椅子に乗せられてHCUを突っ切ってエレベーターに向かった。人生で初めて乗る車椅子に「なかなか快適ですね」などと看護師に軽口を叩きながら向かう道中で全身真っ黄色の老婆を見た。末期がんだと思われる老婆が昏睡していた。ベッドは背もたれが立ち上げられ、寝ているというよりは立っているのに近い格好でまるで吊るされているように見えた。半裸の老婆の口元はモゴモゴとなにやら動き、そこを看護師が布で拭っていた。そばに家族の姿は無かった。今思えばたまたまその時に席を外していただけかもしれないが僕はそれを見て「孤独」だと思った。僕は数秒間そこから目が離せなかった。

HCUにお見舞いに来た両親の言葉をよく覚えている。

「ここには家族しか入れんみたいだな。こんな時に嫁さんでもいればワシらが来なくても安心なのにな」

そう言って親父は笑った。僕はこういう話題になる度に目を落として逃げていたスマートフォンが手元に無かったために仕方なく苦笑いをして親父の顔を見た。親父はいつもこんなに寂しそうに笑っていたのか。

 

アイドル現場は幻を見ることが赦された場所だと僕は思う。普段の生活では幻も見れない、しかし現実も見たくない、そういう孤独なおじさんの逃げ場としての機能がアイドルにはある。シャバでは非合法になってしまう僕らでも合法的に人を愛する幻が見られる。

例えば握手会、僕らが一般の10代の女の子の手を握ったら通報されるだろう。例えばコンサート、僕らが大声で一般の若い女性の名前を叫んだら通報されるだろう。実際に出会わなくてもいい。例えば生写真やポスター、恋人でもない一般女性のそれを部屋に貼っているのを発見されたら通報された上で精神科の受診を勧められるだろう。各種の映像やその他の媒体、ブログを読む行為すらそうだ。彼女達自身やそれを保護する企業が「ここまではエンターテイメント」と定義した限りにおいて、それらの行動は合法化されているだけだ。

孤独なおじさんの逃げ場としての機能がアイドルの全てだとは言わない。アイドルは幻ではなく人間なのだからちゃんとしろ、という意見も分かる。しかし合法的に幻に恋が出来る場所としての機能が確かにアイドルにはあるのだ。あなたには必要のない機能でも、それを必要としている人間は確かに存在する。

幻を愛することは心地良い。幻なのだから原理的に裏切られる事はない。ゲームの中のようなものだ。もちろんアイドル自身はゲームではなく実際の人生を生きている。アイドル自身とアイドルが作り出す幻の区別がつかなくなると酷い時には誰かが物理的に傷付く事になる。

 

テレビ朝日で見たトークショーで何故僕はそこにいてはいけないような気がしていたのか。それはトークショーに出ていたのは早見初美花、少なくとも早見初美花を演じる工藤遥であって僕に幻を見せてくれていた「アイドル」工藤遥ではないからだ。僕に幻を見せていたあの工藤遥はもういない。あの場で工藤遥が幻を見せたいのは幼児達だと思った。幼児達は幻を見ていた。幼児には幻を現実として見る能力が備わっている。羨ましいことこの上ない。それを見ていると、そこでは僕には幻を見ることが赦されていないような気がした。

この文章は特撮現場に通う工藤ヲタや若手俳優ファン特撮ファンを否定するものでは全く無い。僕は特撮現場に通う工藤ヲタになりたかった。出来ることならずっと幻を見ていたかった。でも僕にはもうその幻が見えなくなってしまったという個人的な話だ。工藤遥自身には感謝しているし興味もあるので今後も見に行く機会はあると思うが、少なくともあの場では幻が見えなくなってしまった。

幻を見られなくなった僕が仕方なく見た「僕の現実」はドロドロとした何かがまとわりついてくる真っ暗闇だった。そこに希望や愛は全く無い。新たな幻を探しに行く手もあるが、僕は暗闇を見つめる事を選んだ。

「アイドル」工藤遥が最後に放った呪いの言葉「皆さんも幸せになってください」が僕をゆっくりと締め付けている。僕はこの真っ暗闇のドロドロの中で「幸せ」を探さなければならない。「僕の現実」はどこに何があるのか全く分からないほど暗い。あちこちから断末魔の叫びが聞こえてくる。まるで看護師のいないHCUだ。僕は生きる為に痛みに耐えながらメシを食い、明日のために眠る。真っ暗の現実でやれる事は今の所それだけだ。

 

 

トークショーの数週間後、僕はB'zのライブに行く機会を得てLOVE PHANTOMを見た。このタイミングでこの曲が生で聴けた事で「ガチ恋おじさんの最終回だ!」と思った。「欲しい気持ちが成長しすぎて愛することを忘れて万能の君の幻を僕の中に作ってた」で全力のクラップケチャ(死語)を打つ泥酔した僕はもしかしたら多少「幸せ」だったかもしれない。幻の歌を歌う幻稲葉浩志は強烈に光っていた。真っ暗の現実を照らすのは幻と薬物だ。

 

 

僕が死んだら葬式の最後にLOVE PHANTOMを流し、曲のラストと同時に骨壷をめっちゃ高い場所から落として欲しい。僕はその後普通に復活して次の曲を歌うから。

 

幻をいつも愛している 何もわからずに

Can you hear the sound 
it's my soul 
I will give you
anything,anything you want

誕生日の朝

救急搬送された病院のベッドで医師から「脳に影がある、おそらく脳腫瘍だろう」と最初に聞かされた時、僕はそんなにショックを受けませんでした。頭が真っ白になったというワケではありません。かなり酷い頭痛がしていたので「検査なんて後でいいから早く痛みを止めてくれ」と思っていた、というのは少しあるかもしれませんが、しかしそれだけではなく冷静な判断として「まあそういう事もあるかな」という感想でした。このタイミングで死ぬのも別に悪くないな、と思ったのを覚えています。

人が「死にたくない」と思うのは何か大事なモノがあるからなんじゃないかと思っています。家族とか恋人とか好きなモノとか見たいモノとか思想とか信条とか、自分にとって大事なモノが。僕にはそれが無い。よつばと!やHUNTERXHUNTERやワンピースの最終回や、工藤遥の結婚相手や、今後ドロップされるドープなエロ動画などは僕も気になりますが、そういう「気になるモノ」が一切なく死ぬ人はほとんどいないと思いますし、そもそもそれらは僕にとっては「見られないなら見られないで仕方ないな」という程度のモノです。もっと強く「自分が今死んだらあの人はどうなるんだ、アレはどうなるんだ」というモノがある人が「死にたくない」と思うんじゃないかな、と感じるのです。両親は悲しむでしょうし、親より先に死ぬのは忍びないという気持ちはあるのですが病死では仕方がないし、僕が死んで両親がすごく困る事はないだろうと考えています。年金が生活出来るくらいには出ている世代だし、妹夫婦や親戚との関係も良好です。両親の他には親しい友人の何人かは悲しむでしょうが、その悲しみで彼ら彼女らの人生が変わるほどのインパクトはないでしょう。入院費用や葬儀代は保険と貯蓄で賄えるし、そういう意味では僕は「いつ死んでもいい」というかなりヤクザでロックな境地に達しています。ヤクザでもロックでもなんでもないのに。

こんな風に書いていると誤解されてしまうかもしれませんが僕は「死にたい」ワケでは全然ありません。というよりもむしろ平均的な人より「死にたい」という気持ちが少ない方だと思います。生まれてこの方一回も本気で「死にたい」と思った事がありません。「死んでみようかな」も「ここから飛び降りれば死ねるな」も「死んでみたらどうなるだろう」もありません。生きれるだけ生きたいといつも思ってきました。貧乏性なのです。見れるもの、やれる事はとりあえず生きていればなにかあるはずで、それがどんなに見たくないものでも見ておいた方がお得な気がします。食べ放題バイキングには時間ギリギリまでいたいのです。例え追加される料理がどんなにまずくても「これ不味いなあ」と思えたなら「それが不味い」という事が知れてお得じゃん、そう思って生きています。もちろん次に追加される料理がめちゃくちゃ美味い可能性だってあるワケですし。とはいえ、食べ放題には時間制限がある。その時間制限がやって来たらお会計して帰るしかないではないですか、とそう思っているだけです。

診断の結果、僕の脳腫瘍は「おそらく良性の髄膜腫だろう。出来ている場所も悪くないしただちに命に別状はないと思われるがサイズが大きい上にまだ若く今後ほぼ確実に手術する事になるので早めに手術した方が良いのではないか」という事でした。今月末には手術の予定です。医師の説明や自分なりに調べた感じでは、まあほぼ死にはしないだろう、とは考えているのですが「実は超珍しい悪性でした~パターン」はあり得るので一応死んだらどうしようかな、と考えたのですが「別に死んでも問題ない」という結論に達してしまい、このようなブログになってしまいました。

 

 

というワケで34歳なぅなぅ~~~。12年間連続で誕生日に「誕生日の朝」というタンポポの名曲のタイトルを拝借してブログを書いていて、それを毎年読み返しているのですが、まあしかし毎年毎年誕生日周辺にはろくなことがありません。去年は工藤遥が卒業を発表してるし、2015年には誕生日当日にパトカー乗ってるし、その他の年も大体ろくな事になっていません。誕生日以外もろくなことなんて基本的に起こっていないので当たり前といえば当たり前なのですが。今年も誕生月早々開頭手術という事でなかなかのろくなもんじゃねぇ。ぴいぴいぴいぴいぴいぴい。

youtu.be

良性の髄膜腫というのはどんなに進行が早いものでもせいぜい一年に1センチくらいしか大きくならないようなのですが仮に僕の脳腫瘍が医者の見立て通りそれだったとすると、ちょうど工藤遥に恋をしたのと同時期に脳に腫瘍ができたという事になります。工藤遥への恋は脳にできた腫瘍が見せたロマンチックな夢だったのではないか、というような気もしてきます。 工藤遥に名前を覚えられてなくて自暴自棄になってた2013年9月には既に脳腫瘍が…と思うとなんとなくロマンチックですよね。

中島(@nksm777)/2013年09月/Page 2 - Twilog

おかしいとは思ってたんですよね、僕がこんなに人を好きになるワケないと思ってたんですよ。救急車を呼んだ時、ギリギリまでどうしようか悩んでいまして。なにしろ病院嫌いなもんで限界突破するまで病院には行かない方なのです。そんな僕が救急車呼んだ理由は「くどうはるか」が発声出来なくなったから、ですからね。軽い言語障害が出てたのは気付いたんですけど、その程度が分からなくて寝不足で混乱してるだけかと思ってたんです。それなら救急車呼ぶほどじゃないかな、と思って激しい頭痛にせんべい布団で耐えていたのですがふと発音してみた「くどうはるか」が出ないのはおかしい、これは重篤だ、と思って119番に電話したんですよ。結局電話で自分ちの住所言うのも怪しいくらいだったんでアレは救急車呼んで良い状態だったとは思うんですが、その判別がすぐに出来たのは工藤遥のおかげです。ふと「くどうはるか」を発音するクセがあってよかった。工藤遥に命を救われたようなもんですよ。僕は工藤遥に命まで救われてしまいました。あなたに会えて良かったねきっと私。脳腫瘍が見せた夢が僕を生かそうとしています。僕の腫瘍はかなり大きい方らしく(4センチ強ある)医師から「こんなに大きくなるまでなんにも気付かなかったの?」と言われたのですが、それも脳腫瘍が空気を読んで工藤遥が卒業するまでは症状出さないでおいてやろう、と思っていたとしか思えません。いや、まあ脳腫瘍は僕の一部なのでそれも含めて僕の意志ではあるのですが。

救急車呼んだ時は当然脳腫瘍があるのは知らなかったので脳梗塞的なモノだと思ってて、言語障害は今後一生続くと思い「あー、もうアレ、アレ、なんだっけな、アレ、あの、握手、握手会、アレ行けないのかなあ」と思いながら救急隊員を待ってた覚えがあります。結局言語障害は一時的なものでその後に行われた工藤遥のハルカメラの握手会に行くことが出来ました。握手では「いやー、脳腫瘍が出来てしまいましたー」みたいな事を言ったんですけど普通に噓だと思われました。その時の言い方も軽すぎて良くなかったんでしょうけど、今までの行いが相当悪かったんでしょう。面白いと思って「昔ヴィレバンで働いてた」とか「3歳で天狗にさらわれて天狗に育てられてた」とかすぐにバレる噓ばかり5年くらいついてた自分が悪い。その後知り合いの握手券いっぱい持ってる人が「ネタがないから」という理由で僕の脳腫瘍が本当だって事を説明してくれたみたいで一応脳腫瘍になりましたー、みたいなウソで気を引こうとする厄介なヤツだと思われなくて済んだ(と思う)ので良かったのですが、危うくヤバイヤツになってしまう所でした。まあ、本当だとしても脳腫瘍になって握手会に来てそれを報告してるヤツヤバイですけど。

開頭手術をするのはもちろんはじめてなので、手術の傷跡とかどういう感じになるのかなー、シブイ刀傷みたいになるといいなーと思いちょっと画像検索してみたのですが、その時に偶然見つけたブログの人の初期症状が結構僕に似てて少し読んでみたんですよ。最初から順に読んでたんですけど、途中から雲行き怪しい感じになってきたので、あれ、この人今どうなってるんだろう、って最新の記事にしたら「筆者の妻です。夫の葬儀は・・・」っていうよく見るパターンのヤツになっていました。

lily100100.blog.fc2.com

よく知らなかったのですが、こういう「闘病ブログ」ってひとつのジャンルになってて、アメブロなんかには専用のカテゴリーがあってランキングとかもあり、気持ちわりぃなあと思いながらいくつかチラっと読んでみました。ほとんどの「闘病記」作者に配偶者や子供がいる事に気が付きました。独身のおっさんの闘病記ってほとんどないんですよ。「これ絶対泣けるランキング狙いの創作だろ」ってのも結構あるので、それに関しては「家族がいた方がドラマやエピソードが書きやすいしこういうの読む層にウケそう」という事でそうしてるんだろうなー、というのは思ったのですが、リアルな闘病記にも単身者は少ないんですよね。なんでかなー、と考えて恐ろしく単純な恐ろしい事実に気付いてしまったのですが「独身のおっさんは病状が悪化したらブログが書けない」からなんじゃないですかね。当然死んだら書けないですし。万が一僕の病状が悪化したら「孤独なおじさんの闘病記」というニッチな市場を狙いに行こうと思います。死んだ後のブログは自動投稿でやれば問題ないでしょう。天からとどけ!彼女になりたい!

 

ニートの定義的に34歳の今年がニートと名乗る事ができる最終年らしいのですが、ニート最後の年は静養する事になりそうです。ここ5年間の「工藤遥への恋編」としか言いようがない人生の一編を共に駆け抜けた脳腫瘍君とオサラバして静養します。グッバイ相棒。失恋した女性が髪をバッサリ切るような気分、と言うにはいささか開頭手術はグロテスクですが、なんとなくスッキリした気分なのは確かです。今年はスッキリ静かに暮らして来年の誕生日からただの無職になる。35歳過ぎてからがグランドラインですよ。億超えの無職がウヨウヨいる新しい海に漕ぎ出します。ただの無職に、俺はなる!(ドン!)