特撮ヒロイン工藤遥について

テレビ朝日の特設ステージでトークショーを行う工藤遥は僕を見ず、僕も工藤遥を見ていなかった。工藤遥はヒーローショーを観に集まった幼児達や司会や共演者を見た。僕はぼーっとどこか虚空を見つめたり、工藤遥と同じように集まった幼児達を見ていた。

普段の生活で幼児と接する機会は無い。こんなに大勢の幼児を見たのは自分自身が幼児だった頃以来だ。一通り幼児達の新鮮なリアクションを確認した後、その親達も見た。おそらく僕と同じくらいの年齢だろう。トークショーの終わりに客席に降りてきた工藤遥は幼児達と嬉しそうに触れ合い、僕はそれを茫然と眺めた。人形を2つ握りしめて。僕はそこにいてはいけないような気がしていた。

 

トークショーに行く2ヶ月ほど前、僕は脳腫瘍の摘出手術を受けた。手術の後、全身麻酔から目覚めた僕は医師から簡単な検査を受けてHCU(高度治療室)に入れられた。比較的重篤な患者が大部屋に集められ、24時間体制で看護師や医師が常駐している。一晩中ベッドサイドモニタのアラームがあちこちで鳴り響きカーテンで仕切られただけの隣のベッドからはうめき声が聞こえる非常に不快な場所だった。

手術直後で頭と顔が腫れていたためにメガネもかけられず周りに何があるのかもよく分からない僕はただうめき声と看護師の走り回る音、ピーピーうるさいアラーム音を聞きながら眠っているような起きているような状態で過ごした。

寝返りを打つと下半身に違和感がある。どうやら尿道にはカテーテルが通っているようだった。これも不快だ。さらに不快だったのは頭に刺さっていた管から流れ出る赤黒い液体が傍らにあるビニール袋にドクドクと溜まっている事に気付いた時だった。ドレナージと呼ばれる処置で要は廃液処理だ。

頭の管を邪魔くさそうに触る僕に気付いた看護師が「余分に溜まる髄液を排出しているのだ」と説明しはじめたが、ちょうど痛み止めが切れたようで頭に激痛が走りそれどころでは無くなってしまった。僕は痛み止めを頼みそのまま眠った。

次に目を覚ましたのは隣のベッドで一晩中うめき声を上げていた男性が一際大きな声を上げ、ベッドがどこかへ運ばれていく時だった。彼が運ばれたのが手術室なのかICUなのか分からないがとにかく病状が悪化してどこかへ運ばれた事だけは分かった。

若い女性の看護師がやって来て僕の身体を拭いた。僕はその感触をどこかで味わった事があるような気がして記憶の迷路を辿ったが、辿り着いたのは御徒町の韓国アカスリだった。僕の頭の記憶の迷路、どうしようもない。ナナという名前の妙齢の女性のことを僕は思い返していた。このサービスが付いて健康保険で実質無料!3食付いてるしお安い!と思いながら数分間身体を拭かれたが性的な興奮は全く無かった。ただ頭が痛かった。頭がすごく痛いと性的衝動が蘇らないんだなあ、とぼんやり思いながらただ身体を拭かれた。

腹が減っているのを感じて身体を拭かれながら「すいません、腹減ったんですけど食事って食べられるんですか?」と聞いた。看護師は朝食までまだ1時間ほどあるが食べられるようなら食べて良いので用意すると答えた。どうやら数時間ほど眠っていて今は早朝らしい。HCUへの携帯電話の持ち込みは禁止だったので何時なのか把握するのに難儀した覚えがある。

1時間後に出てきた朝食を僕は痺れる右手で箸を持ち強烈な頭痛に耐えながら全て平らげた。数時間後には尿道のカテーテルを引っこ抜かれて(非常に不快だった)点滴を引き摺りながらトイレに行けるようになった。その数時間後にはドレーンも抜かれた。管が入っていた頭の穴はホッチキスで雑に止められた。

HCUには丸二日勾留された。携帯持ち込み禁止で特に暇つぶしも用意していなかったその間はぼーっとして過ごしていたが工藤遥の事は特に考えなかった。ただ痛みに耐えメシを食い眠った。そこでは「工藤遥」ではなく痛み止めの点滴と食事と睡眠が僕に必要だと感じた。工藤遥に願った所で彼女が僕のためにホームランを打ってくれるワケではない。ベーブ・ルースにホームランを打ってもらえなかった病気の子供も沢山いるだろう。願っても叶わない事の方が世の中には多い。HCUではそう思う。しかしアイドルの現場では願えば叶うような気がしていた。人は幻を見たがる。

一般病棟に戻る事を許可された僕は車椅子に乗せられてHCUを突っ切ってエレベーターに向かった。人生で初めて乗る車椅子に「なかなか快適ですね」などと看護師に軽口を叩きながら向かう道中で全身真っ黄色の老婆を見た。末期がんだと思われる老婆が昏睡していた。ベッドは背もたれが立ち上げられ、寝ているというよりは立っているのに近い格好でまるで吊るされているように見えた。半裸の老婆の口元はモゴモゴとなにやら動き、そこを看護師が布で拭っていた。そばに家族の姿は無かった。今思えばたまたまその時に席を外していただけかもしれないが僕はそれを見て「孤独」だと思った。僕は数秒間そこから目が離せなかった。

HCUにお見舞いに来た両親の言葉をよく覚えている。

「ここには家族しか入れんみたいだな。こんな時に嫁さんでもいればワシらが来なくても安心なのにな」

そう言って親父は笑った。僕はこういう話題になる度に目を落として逃げていたスマートフォンが手元に無かったために仕方なく苦笑いをして親父の顔を見た。親父はいつもこんなに寂しそうに笑っていたのか。

 

アイドル現場は幻を見ることが赦された場所だと僕は思う。普段の生活では幻も見れない、しかし現実も見たくない、そういう孤独なおじさんの逃げ場としての機能がアイドルにはある。シャバでは非合法になってしまう僕らでも合法的に人を愛する幻が見られる。

例えば握手会、僕らが一般の10代の女の子の手を握ったら通報されるだろう。例えばコンサート、僕らが大声で一般の若い女性の名前を叫んだら通報されるだろう。実際に出会わなくてもいい。例えば生写真やポスター、恋人でもない一般女性のそれを部屋に貼っているのを発見されたら通報された上で精神科の受診を勧められるだろう。各種の映像やその他の媒体、ブログを読む行為すらそうだ。彼女達自身やそれを保護する企業が「ここまではエンターテイメント」と定義した限りにおいて、それらの行動は合法化されているだけだ。

孤独なおじさんの逃げ場としての機能がアイドルの全てだとは言わない。アイドルは幻ではなく人間なのだからちゃんとしろ、という意見も分かる。しかし合法的に幻に恋が出来る場所としての機能が確かにアイドルにはあるのだ。あなたには必要のない機能でも、それを必要としている人間は確かに存在する。

幻を愛することは心地良い。幻なのだから原理的に裏切られる事はない。ゲームの中のようなものだ。もちろんアイドル自身はゲームではなく実際の人生を生きている。アイドル自身とアイドルが作り出す幻の区別がつかなくなると酷い時には誰かが物理的に傷付く事になる。

 

テレビ朝日で見たトークショーで何故僕はそこにいてはいけないような気がしていたのか。それはトークショーに出ていたのは早見初美花、少なくとも早見初美花を演じる工藤遥であって僕に幻を見せてくれていた「アイドル」工藤遥ではないからだ。僕に幻を見せていたあの工藤遥はもういない。あの場で工藤遥が幻を見せたいのは幼児達だと思った。幼児達は幻を見ていた。幼児には幻を現実として見る能力が備わっている。羨ましいことこの上ない。それを見ていると、そこでは僕には幻を見ることが赦されていないような気がした。

この文章は特撮現場に通う工藤ヲタや若手俳優ファン特撮ファンを否定するものでは全く無い。僕は特撮現場に通う工藤ヲタになりたかった。出来ることならずっと幻を見ていたかった。でも僕にはもうその幻が見えなくなってしまったという個人的な話だ。工藤遥自身には感謝しているし興味もあるので今後も見に行く機会はあると思うが、少なくともあの場では幻が見えなくなってしまった。

幻を見られなくなった僕が仕方なく見た「僕の現実」はドロドロとした何かがまとわりついてくる真っ暗闇だった。そこに希望や愛は全く無い。新たな幻を探しに行く手もあるが、僕は暗闇を見つめる事を選んだ。

「アイドル」工藤遥が最後に放った呪いの言葉「皆さんも幸せになってください」が僕をゆっくりと締め付けている。僕はこの真っ暗闇のドロドロの中で「幸せ」を探さなければならない。「僕の現実」はどこに何があるのか全く分からないほど暗い。あちこちから断末魔の叫びが聞こえてくる。まるで看護師のいないHCUだ。僕は生きる為に痛みに耐えながらメシを食い、明日のために眠る。真っ暗の現実でやれる事は今の所それだけだ。

 

 

トークショーの数週間後、僕はB'zのライブに行く機会を得てLOVE PHANTOMを見た。このタイミングでこの曲が生で聴けた事で「ガチ恋おじさんの最終回だ!」と思った。「欲しい気持ちが成長しすぎて愛することを忘れて万能の君の幻を僕の中に作ってた」で全力のクラップケチャ(死語)を打つ泥酔した僕はもしかしたら多少「幸せ」だったかもしれない。幻の歌を歌う幻稲葉浩志は強烈に光っていた。真っ暗の現実を照らすのは幻と薬物だ。


B'z「LOVE PHANTOM」LIVE-GYM Pleasure '95 “BUZZ!!”

 

僕が死んだら葬式の最後にLOVE PHANTOMを流し、曲のラストと同時に骨壷をめっちゃ高い場所から落として欲しい。僕はその後普通に復活して次の曲を歌うから。

 

幻をいつも愛している 何もわからずに

Can you hear the sound 
it's my soul 
I will give you
anything,anything you want

誕生日の朝

救急搬送された病院のベッドで医師から「脳に影がある、おそらく脳腫瘍だろう」と最初に聞かされた時、僕はそんなにショックを受けませんでした。頭が真っ白になったというワケではありません。かなり酷い頭痛がしていたので「検査なんて後でいいから早く痛みを止めてくれ」と思っていた、というのは少しあるかもしれませんが、しかしそれだけではなく冷静な判断として「まあそういう事もあるかな」という感想でした。このタイミングで死ぬのも別に悪くないな、と思ったのを覚えています。

人が「死にたくない」と思うのは何か大事なモノがあるからなんじゃないかと思っています。家族とか恋人とか好きなモノとか見たいモノとか思想とか信条とか、自分にとって大事なモノが。僕にはそれが無い。よつばと!やHUNTERXHUNTERやワンピースの最終回や、工藤遥の結婚相手や、今後ドロップされるドープなエロ動画などは僕も気になりますが、そういう「気になるモノ」が一切なく死ぬ人はほとんどいないと思いますし、そもそもそれらは僕にとっては「見られないなら見られないで仕方ないな」という程度のモノです。もっと強く「自分が今死んだらあの人はどうなるんだ、アレはどうなるんだ」というモノがある人が「死にたくない」と思うんじゃないかな、と感じるのです。両親は悲しむでしょうし、親より先に死ぬのは忍びないという気持ちはあるのですが病死では仕方がないし、僕が死んで両親がすごく困る事はないだろうと考えています。年金が生活出来るくらいには出ている世代だし、妹夫婦や親戚との関係も良好です。両親の他には親しい友人の何人かは悲しむでしょうが、その悲しみで彼ら彼女らの人生が変わるほどのインパクトはないでしょう。入院費用や葬儀代は保険と貯蓄で賄えるし、そういう意味では僕は「いつ死んでもいい」というかなりヤクザでロックな境地に達しています。ヤクザでもロックでもなんでもないのに。

こんな風に書いていると誤解されてしまうかもしれませんが僕は「死にたい」ワケでは全然ありません。というよりもむしろ平均的な人より「死にたい」という気持ちが少ない方だと思います。生まれてこの方一回も本気で「死にたい」と思った事がありません。「死んでみようかな」も「ここから飛び降りれば死ねるな」も「死んでみたらどうなるだろう」もありません。生きれるだけ生きたいといつも思ってきました。貧乏性なのです。見れるもの、やれる事はとりあえず生きていればなにかあるはずで、それがどんなに見たくないものでも見ておいた方がお得な気がします。食べ放題バイキングには時間ギリギリまでいたいのです。例え追加される料理がどんなにまずくても「これ不味いなあ」と思えたなら「それが不味い」という事が知れてお得じゃん、そう思って生きています。もちろん次に追加される料理がめちゃくちゃ美味い可能性だってあるワケですし。とはいえ、食べ放題には時間制限がある。その時間制限がやって来たらお会計して帰るしかないではないですか、とそう思っているだけです。

診断の結果、僕の脳腫瘍は「おそらく良性の髄膜腫だろう。出来ている場所も悪くないしただちに命に別状はないと思われるがサイズが大きい上にまだ若く今後ほぼ確実に手術する事になるので早めに手術した方が良いのではないか」という事でした。今月末には手術の予定です。医師の説明や自分なりに調べた感じでは、まあほぼ死にはしないだろう、とは考えているのですが「実は超珍しい悪性でした~パターン」はあり得るので一応死んだらどうしようかな、と考えたのですが「別に死んでも問題ない」という結論に達してしまい、このようなブログになってしまいました。

 

 

というワケで34歳なぅなぅ~~~。12年間連続で誕生日に「誕生日の朝」というタンポポの名曲のタイトルを拝借してブログを書いていて、それを毎年読み返しているのですが、まあしかし毎年毎年誕生日周辺にはろくなことがありません。去年は工藤遥が卒業を発表してるし、2015年には誕生日当日にパトカー乗ってるし、その他の年も大体ろくな事になっていません。誕生日以外もろくなことなんて基本的に起こっていないので当たり前といえば当たり前なのですが。今年も誕生月早々開頭手術という事でなかなかのろくなもんじゃねぇ。ぴいぴいぴいぴいぴいぴい。

youtu.be

良性の髄膜腫というのはどんなに進行が早いものでもせいぜい一年に1センチくらいしか大きくならないようなのですが仮に僕の脳腫瘍が医者の見立て通りそれだったとすると、ちょうど工藤遥に恋をしたのと同時期に脳に腫瘍ができたという事になります。工藤遥への恋は脳にできた腫瘍が見せたロマンチックな夢だったのではないか、というような気もしてきます。 工藤遥に名前を覚えられてなくて自暴自棄になってた2013年9月には既に脳腫瘍が…と思うとなんとなくロマンチックですよね。

中島(@nksm777)/2013年09月/Page 2 - Twilog

おかしいとは思ってたんですよね、僕がこんなに人を好きになるワケないと思ってたんですよ。救急車を呼んだ時、ギリギリまでどうしようか悩んでいまして。なにしろ病院嫌いなもんで限界突破するまで病院には行かない方なのです。そんな僕が救急車呼んだ理由は「くどうはるか」が発声出来なくなったから、ですからね。軽い言語障害が出てたのは気付いたんですけど、その程度が分からなくて寝不足で混乱してるだけかと思ってたんです。それなら救急車呼ぶほどじゃないかな、と思って激しい頭痛にせんべい布団で耐えていたのですがふと発音してみた「くどうはるか」が出ないのはおかしい、これは重篤だ、と思って119番に電話したんですよ。結局電話で自分ちの住所言うのも怪しいくらいだったんでアレは救急車呼んで良い状態だったとは思うんですが、その判別がすぐに出来たのは工藤遥のおかげです。ふと「くどうはるか」を発音するクセがあってよかった。工藤遥に命を救われたようなもんですよ。僕は工藤遥に命まで救われてしまいました。あなたに会えて良かったねきっと私。脳腫瘍が見せた夢が僕を生かそうとしています。僕の腫瘍はかなり大きい方らしく(4センチ強ある)医師から「こんなに大きくなるまでなんにも気付かなかったの?」と言われたのですが、それも脳腫瘍が空気を読んで工藤遥が卒業するまでは症状出さないでおいてやろう、と思っていたとしか思えません。いや、まあ脳腫瘍は僕の一部なのでそれも含めて僕の意志ではあるのですが。

救急車呼んだ時は当然脳腫瘍があるのは知らなかったので脳梗塞的なモノだと思ってて、言語障害は今後一生続くと思い「あー、もうアレ、アレ、なんだっけな、アレ、あの、握手、握手会、アレ行けないのかなあ」と思いながら救急隊員を待ってた覚えがあります。結局言語障害は一時的なものでその後に行われた工藤遥のハルカメラの握手会に行くことが出来ました。握手では「いやー、脳腫瘍が出来てしまいましたー」みたいな事を言ったんですけど普通に噓だと思われました。その時の言い方も軽すぎて良くなかったんでしょうけど、今までの行いが相当悪かったんでしょう。面白いと思って「昔ヴィレバンで働いてた」とか「3歳で天狗にさらわれて天狗に育てられてた」とかすぐにバレる噓ばかり5年くらいついてた自分が悪い。その後知り合いの握手券いっぱい持ってる人が「ネタがないから」という理由で僕の脳腫瘍が本当だって事を説明してくれたみたいで一応脳腫瘍になりましたー、みたいなウソで気を引こうとする厄介なヤツだと思われなくて済んだ(と思う)ので良かったのですが、危うくヤバイヤツになってしまう所でした。まあ、本当だとしても脳腫瘍になって握手会に来てそれを報告してるヤツヤバイですけど。

開頭手術をするのはもちろんはじめてなので、手術の傷跡とかどういう感じになるのかなー、シブイ刀傷みたいになるといいなーと思いちょっと画像検索してみたのですが、その時に偶然見つけたブログの人の初期症状が結構僕に似てて少し読んでみたんですよ。最初から順に読んでたんですけど、途中から雲行き怪しい感じになってきたので、あれ、この人今どうなってるんだろう、って最新の記事にしたら「筆者の妻です。夫の葬儀は・・・」っていうよく見るパターンのヤツになっていました。

lily100100.blog.fc2.com

よく知らなかったのですが、こういう「闘病ブログ」ってひとつのジャンルになってて、アメブロなんかには専用のカテゴリーがあってランキングとかもあり、気持ちわりぃなあと思いながらいくつかチラっと読んでみました。ほとんどの「闘病記」作者に配偶者や子供がいる事に気が付きました。独身のおっさんの闘病記ってほとんどないんですよ。「これ絶対泣けるランキング狙いの創作だろ」ってのも結構あるので、それに関しては「家族がいた方がドラマやエピソードが書きやすいしこういうの読む層にウケそう」という事でそうしてるんだろうなー、というのは思ったのですが、リアルな闘病記にも単身者は少ないんですよね。なんでかなー、と考えて恐ろしく単純な恐ろしい事実に気付いてしまったのですが「独身のおっさんは病状が悪化したらブログが書けない」からなんじゃないですかね。当然死んだら書けないですし。万が一僕の病状が悪化したら「孤独なおじさんの闘病記」というニッチな市場を狙いに行こうと思います。死んだ後のブログは自動投稿でやれば問題ないでしょう。天からとどけ!彼女になりたい!

 

ニートの定義的に34歳の今年がニートと名乗る事ができる最終年らしいのですが、ニート最後の年は静養する事になりそうです。ここ5年間の「工藤遥への恋編」としか言いようがない人生の一編を共に駆け抜けた脳腫瘍君とオサラバして静養します。グッバイ相棒。失恋した女性が髪をバッサリ切るような気分、と言うにはいささか開頭手術はグロテスクですが、なんとなくスッキリした気分なのは確かです。今年はスッキリ静かに暮らして来年の誕生日からただの無職になる。35歳過ぎてからがグランドラインですよ。億超えの無職がウヨウヨいる新しい海に漕ぎ出します。ただの無職に、俺はなる!(ドン!)

女優工藤遥との握手会に向けて

日々生活出来るだけの小銭を稼いで酒ばかり飲んでいるうちに、工藤遥がアイドルを卒業してから4ヶ月が経った。その間に工藤遥はぐんぐんと前に進み、僕は飲酒後に倒れて救急車で搬送され脳に腫瘍が見つかった。「アイドルのあの娘が居ない世界でどう生きて行けば良いのか」などと言う僕の自分勝手な思いを熟成させる暇もなく、工藤遥は卒業後すぐさまルパンイエローになりブログを開設し、そしてInstagramを始めた。そこにはめくるめくきらびやかな世界が広がっていて僕は目をやられてしまった。世の中は僕なんかには関係なくグリングリンと回る。別に工藤遥に限った話じゃない。この世の全てが僕の思いとは関係なく回っている。

今では工藤遥の出演するテレビやブログやInstagramは片目でしか見られなくなっている。そんな廃人のような生活をしている折「工藤ヲタは工藤遥と結局どうなりたいのか」というテーマのブログを目にした。これは僕も昔から考えているテーマだったので「そうだ、ブログでも書いてみよう」という気になった。バスツアーの後にあったイベントである最後の個別握手会、ソロイベント、卒業公演について書くつもりは今の所あまりない。別に自分の中だけに留めておきたいから、ということではなく単純に時間が経ちすぎていて詳細をあまり覚えていないからだ。ソロイベントと卒業公演に関しては映像が発売されたらしいのでそれを見たら書く気になるかもしれないが、今の所見ていないし映像も持っていない。

 「工藤ヲタは工藤ハルちゃんとどうなりたいのか」というタイトルのそのブログを読んで僕は僕が「工藤ハルちゃんとどうなりたいのか」を書いてみたいと思った。この種の問題に関して僕は自分以外の人がどうなのかを考えるような事はあまりしない。他人の考えに興味がないわけではなく、これは一人一人に個別の問題であって自分の考えに向き合うしかないと思っているからだ。この問題に全員に共通する「正答」や「理想の状態」というものは無い。この問題を抱える一人一人が「これならなんとか死なずに生きていけるかもしれない」という状態を見つけるしかないのだ。

そのブログには「工藤遥と結婚したいと言っている男性は正攻法(業界関係者などになって出会う)を用いて結婚を目指すべきだ」と書いてあった。僕も基本的には同意見だ。「好きな人と結婚したい」という思いで起こす行動は人生に良い影響を与える可能性が高い。少なくとも悶々とした気持ちを抱えて酒ばかり飲んで救急車で運ばれるような生活を送るよりはずっと良いだろう。ただしそれは「本当に結婚したい」ならばの話だ。僕はある時期から「工藤遥と結婚したい」と言うのを意識的にやめている。「自分は本当に工藤遥と結婚などがしたいのだろうか」という疑念が晴れないからだ。

「結婚したい」と僕が、または僕に近い思想を持ったオタク(どこかに存在すると信じたい)が言う時、それは「法的に婚姻関係になりたい」という意味ではない。ただ「好きなあの娘とずっと一緒にいたい」という気持ちの事だ。我々は余りに恋愛経験や人生経験が乏しく他の言葉を知らないので「結婚したい」などとすぐに口走る。しかし結婚のなんたるかどころかまともに女性と付き合うという事すらよくわかっていない。「好きなあの娘とずっと一緒にいる」という事自体がどういう事なのか全然わからないから世間的に通りの良い「結婚」などという言葉を安易に使っているだけだ。

我々が「結婚したい」と言う時、それは「永遠に誰かに無条件に受け入れられたい」というおぞましい思いをオブラートに包んで放っているだけに過ぎない。工藤遥が良く出来たプロジェクションマッピングであっても構わない、というよりも僕が望んでいたのは良く出来たプロジェクションマッピングである事だ。良く出来たプロジェクションマッピングを自分好みにカスタマイズして一生それと添い遂げるのが僕のしたい事なのではないか。そう思い至った時にあまりの醜悪さに自分に吐き気がした。

とにかく醜悪な気持ちだ。誰かを無条件に受け入れたい、ではなく誰かに無条件に受け入れられたい。他人が主体の願望は醜い上に精神に良くない。そういうわけで僕は工藤遥とどうなりたいのか、という事を考えるのを半ば放棄した。あえて言えば「僕は工藤遥に永遠に無条件に受け入れられたかった」という事になる。もちろん工藤遥が人間である以上それは不可能だ。僕は工藤遥は人間だと思っている。

中島らもは「失恋について」というエッセイで「永遠の片想い」は「幸福」と呼んでさしつかえないかもしれない、と書いている。「得恋」してしまうとそれを失う予感に恐れおののく。誰かと恋に落ちてその恋が叶ったが最後「生き別れる」か「死に別れる」しかないからだ。永遠の片想いのみが幸せな結末を迎えられる。ただそれは「遠くから相手の幸せを願う」ような片思いである事が条件だ。「アイドルへの恋」の不幸は一方的に「得恋」してしまう事にある。それが「片思い」であるならば幸福と呼んでさしつかえない状態だというのに「片思い」のままでいられないのだ。

僕は工藤遥がアイドルを卒業する卒業ロードで工藤遥に受け入れられている、と感じてしまった。もちろん男としてではない。もしかしたら同じ人間としてでもないかもしれない。しかしそれが何としてだろうが、受け入れてもらっている、少しは受け入れてもらった、という気持ちになった。僕はそこで「得恋」してしまったのだ。工藤遥が愛のカケラを返してくれたという気持ちになった。それがどんなに小さなカケラであっても愛が返って来た事に変わりはない。もっと言えば、それが勘違いであったかどうかすら関係ない。実は工藤遥は一欠片も僕に愛を返してなどいなかったという事実が仮にあったとしても関係ないのだ。これは徹頭徹尾僕の中でだけの問題だからだ。僕がそう感じた時点でそれは「得恋」になってしまう。僕は山口のホールラストコンサートで、岐阜の個別握手会で、最後のソロイベントで、「得恋」してしまった。その後はもう「幸福」な「永遠の片想い」などでは到底ない。

 

アイドルに「得恋」してしまったガチ恋オタクのその後は悲惨だ。具体的に言うと「そのアイドルを目にする度に生き別れの苦しみを味わい続ける」ことになる。ハッキリとした「別れ」が来ないばかりに永遠に別れの苦しみを味わい続ける。この苦しみを終わらせるには「失恋」するしかないのだがオタクに「失恋」する権利は与えられていない。「疑似得恋」はビジネスになっているが「疑似失恋」をする方法は誰も与えてくれない。僕は工藤遥がテレビに出る度、ブログを更新する度、Instagramに動画をあげる度に「生き別れ」の苦しみを味わい続けている。毎日毎日その度にフレッシュな苦しみが僕に提供されるのだ。工藤遥に永遠の片思いをする権利を僕は失ってしまった。永遠の生き別れの世界に僕は囚われている。

10期バスツアー日記~輪廻の輪編〜

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スタンドアローン

昼飯を食いすぎてオネムになってしまった俺が車中でウトウトしているうちに、バスは最後の目的地、河口湖ステラシアターに到着しておりました。時刻は確か15時くらいだったと思います。我々は「さあ!お待ちかねのライブです!」と添乗員に言われバスを降ろされましたが、いつライブが始まるのか、それはどれくらい続くのか、会場内の気温はどうなのか、といったような情報は一切与えられませんでした。俺は真冬早朝の河口湖ステラシアターの寒さを痛感した事があるので上着を持っていきましたが、その時点での気温は「まあ、これならライブで動けばなんとかなるかな、日が暮れる前に終われば」という感じでしたので上着を持っていかない人もそれなりに多くいるように見えました。昼下がりの気怠い空気とよく晴れた空を覚えています。ライブがいつ始まるのか分からないので皆さんいそいそと会場に入場しているようでしたが、俺はどうもそういう気分になれず、バスから降りるとひとつ伸びをして、ゆっくりとトイレに行き、一服しながら会場に入っていく人波を見ました。「バスツアー、終わっちゃいやだよぅ!」という駄々をこねる幼児のような気持ち、というワケでもありませんでした。むしろ終わりをしっかり見届けて酒でも飲みに行きたい、と思っていたのですが、どういうワケかあまり会場にすぐに入る気分にならなかったのです。f:id:nakashima777:20171202065034j:image

 意を決してやっと会場内に入るともう既にほとんどの人が入場した後で、皆さん推しカラーのTシャツやバスツアーグッズのパーカーなどを着用してライブが始まるのを待っている状態でした。客席の中盤くらいの自分の席に着き、少し客席を見回した所、なんだか少しいつものライブ会場と違う空気を感じました。このライブは基本的に全員単番なのです。一人一人別々にくじを引いて当たった席で入っているので「友達と連番」が出来ない。もちろん友達と連番する為に席交渉をする、という事も可能ではあるのですが、少なくとも俺が見た限りではそれをしている人はあまり多くないように感じました。我々は一人でこのライブに向き合うのです。10期メンバーが10期メンバーだけで歌う、現役では最後のライブ。半野外会場の寒風に耐えていると、ライブが始まるようでした。

前世の記憶

  1. 青春ど真ん中
  2. 私のでっかい花
  3. 悲しき恋のメロディ
  4. グルグルJUMP
  5. 恋のテレフォンGOAL
  6. 私の時代
  7. 好きな先輩
  8. 青春コレクション
  9. 友
  10. 自信持って 夢を持って 飛び立つから

 

一曲目の青春ど真ん中のイントロが会場に流れた瞬間、前世の記憶がフラッシュバックしました。俺がまだ「ガチ恋おじさん」になってしまう前、ただ無軌道に無職を続けながら「いやー、やっぱ結局モーニング娘。だし910期いいよねー」などと大学時代からの悪友とモーニング娘。オタクに出戻りしはじめていた2012年秋の記憶です。カラフルキャラクターでこの曲を歌っている工藤遥の姿が、地獄の業火に焼かれてトロケ始めた俺の脳の片隅に一片残ったその記憶が、青春ど真ん中のノーテンキなイントロで引きずり出されたのです。私のでっかい花ではこれを歌ったエヴォリューションの時の心を掻き毟られるようなツライ記憶が呼び覚まされました。その後の一曲一曲にも全て「この日ここでこれを歌う理由」みたいなモノが分かりやすく込められているセットリストで、その歌を歌っていた当時の記憶が鮮明にフラッシュバックして来て、さながら走馬灯のようでした。

三曲ほど歌って始まった短いMCでは「この会場は寝起きドッキリやエヴォリューションの最終日で使った会場だ」みたいな事を言っていた記憶があります。その時に「こんな事なら寝起きドッキリでもらったモーニング娘。と書かれた赤いハチマキ持ってくれば良かった。今しか使い所ないのにアレ」と思ったのを覚えています。新春ドッキリの収録の記憶がそこでフラッシュバックしました。その頃にはもう「ガチ恋おじさん」になってしまっていて、隣の席に居た「いろはすが飲めなくなった男」に満面の笑みで手を振る工藤遥さんに対して「何故俺には振ってくれないんだ!何故!」という思いを強烈に感じた事を思い出しました。もう一度同じ場所が使われたエヴォリューションの最終日は「どうせ俺なんか誰にも愛されない期」真っ盛りで、開演前に駐車場でコークハイを飲みまくり記憶を無くすほど飲んで公演中にトイレに何度も行き、挙げ句の果てに会場内の売店で売られていたポップコーンを買って席に戻ってきた、という記憶が戻りました。戻る記憶戻る記憶ろくなもんじゃない。今思い返すと本当にろくなオタクじゃない。今もろくなもんじゃねえけど、あの頃は本当に危険な領域でろくなもんじゃなかった。あんな状態の俺を工藤さんはその異常な優しさでもって辛抱強く相手にして下さいました。今こうしてなんとかあの頃への謝罪の気持ちを感じる事が出来る精神状態にまで回復出来たのは本当にあの異常な優しさのなせる業だと思うのです。あんなオタクなんてあの時あの辺で切り捨てちまえば良かったのに、と今でも思います。まあ、俺が何度切り捨てても立ち上がってくるので諦めただけなのかもしれませんが、しかしそれにしてもなかなか出来る事じゃないですよ。これはもうアイドルがどうこう、というよりあの人の人間性の凄さのような気がします。俺がもし、工藤遥以外のアイドルに恋をしていたら、と思うと身の毛がよだつのです。あの時の俺があのまま突っ走って切り捨てられた先に待っていた破滅を考えると恐怖で身震いします。

天国の住人

俺にはもうまともなライブレポなど書けないのです。当日は脳に直接電極を差し込まれて過去の記憶をリアルな映像でフラッシュバックさせられ続けているような状態で、それでもなんとかステージにいる工藤遥さんを網膜に焼き付けるのに必死で、もう細かい事などなんにも覚えてはいないのです。申し訳ありませんが、他のバスツアーライブレポや、そのうちファンクラブで高値で発売されるであろうバスツアーの映像作品を観て頂くしかありません。とにかく、10期メンバーに少しでも思い入れがあるならば、最高のライブだった事だけは保証致します。

ライブの中盤辺りに、工藤遥さんへのサプライズでバスツアー参加者の中から選ばれた人がステージに上がってメッセージを読む、というコーナーがありました。4人か5人の人物がステージに呼ばれ、メッセージを読みました。前日のバス車内で「メッセージを読みたい方はメッセージを書いて提出して下さい、こちらで代表を選びます」という告知があり、それに立候補した人の中から選ばれたようでした。知り合いの中には超長文のメッセージを書いて落とされ「なんでだよ!」と激昂していた人もいますが、俺はそもそも立候補しませんでした。握手会ですらマトモに話せないのにステージに上がって衆人環視の中工藤遥さんへメッセージを伝えるなんて事になったらリアルに心臓が口から飛び出て死ぬか、酒を飲みすぎて急性アルコール中毒で死ぬかする未来しか見えなかったからです。そういうワケで壇上に上がった人達は、もう既に「立候補している」という時点で尊敬の対象なのですが、このメッセージを読んだ方々がどれも非常に「良い」メッセージで「ああ、この人達は天国の住人なんだな」と思いました。俺のような地獄の鬼とお友達の人間とは何か根本的に違うのではないか、と思いました。地獄の住人的には「ホントかよ!全員事務所が仕込んだ劇団員じゃねぇのか!」というくらいまっすぐで「良い」メッセージばかりだったのです。もちろん、事務所側がメッセージを読んで選んで前日練習までしていたようですので、ある程度は「良い」メッセージを選別しているのですが、それにしても全員「良」かった。「とりあえず練習まではやっといて本番で急に打ち合わせに一切ないメッセージを言う」という事も余裕で出来るはずなのです。壇上にさえ上がってしまえばほぼ検閲は意味をなさないのではないか、と俺は実際に見るまでは本当にそう思っていました。しかし実際に読まれたメッセージには「苦悩」も「苦痛」も「不安」も、俺が工藤遥に向き合う時に感じる負の感情の一切が無く、ただ「希望」や「応援」や「感謝」が素直に書かれ、それをみなさんが堂々と読み上げて工藤遥に伝えていたのです。もちろん、ネガティブな感情をあの場で工藤遥に伝える事に何の意味も無いし、俺がもしメッセージを読まなければならなくなっても、出来るだけネガティブな感情は排除した文章を書くとは思いますが、それにしてもあそこまでのモノが書けるのは普段から負の感情が一切ない、もしくは非常に少ないとしか思えないな、と俺は感じたのです。俺には絶対に書けません。ああいう文章を真似して書けば書くのは書けるのでしょうが、それを読み上げてしまうと、やっぱりどこか違うものになると思います。俺はああいう「良い」「正しい」オタクになれない事にずっとコンプレックスを抱えていました。サプライズメッセージを聞く河口湖ステラシアターを見渡すと、この会場に自分がひとりぼっちになったような気がしました。客席のほうぼうからすすり泣く声が聞こえ、ステージ上の工藤遥さんも泣いていましたが、俺は乾いた目でどこか遠くを見つめていました。サイド的にメッセージを読んでいる間ずっと工藤遥さんの後頭部が見える位置だったのもあるかもしれません。俺は工藤遥のつむじを乾いた目見つめ続けました。

地獄の先

気が付くとライブは終わっていました。ラストの自信持って 夢を持って 飛び立つからは10期メンバーのオーディションの時の最終課題曲で、これはパフォーマンスとしても非常に良かったです。オーディションの時の映像と見比べる、みたいな楽しみ方もあるし、単純に曲自体が高橋愛の卒業ソングなので歌詞の内容もそういう感じだし、何よりメンバーの感情がガツンと出ていて、人間の感情の大方の部分を失くしている俺ですら「あら、いいですね」と思う良さがありました。ライブが終わるとお見送り握手会があるようでした。握手会の準備をしている間、日が暮れて寒風吹きすさぶ客席で我々は待機させられました。これが本当に寒かった。Tシャツの上にパーカーと上着を着ているデブである俺でも「ちょっとこれは本当に寒いな」と思うほどの寒さでした。Tシャツ一枚の人はもとより、Tシャツの上にパーカーを羽織っているだけ、みたいな人もかなりツラかったと思います。「冬山に軽装で来ちゃった人」「フジロックにTシャツ一枚で来ちゃった人」みたいな感じでブルブル震えながら握手待ちをする客席が印象に残っています。

俺のいたブロックは握手が比較的早く出来るゾーンだったので列に並びました。例によって例のごとく握手で何を言ったらいいのか全然分からなかったので「楽しかったです、ありがとうございます」これだ、これで行こう、と思いました。これで行ったのは良いのですが、俺が思っていたより握手の時間が長かったので変な空白の時間が全員と出来てしまい、全体的にツライ仕上がりになってしまいました。飯窪さんは「楽しかったです、ありがとうございます」と言ったらサムズアップしてニコリとしてくれたのですが、そこから俺が何も言わなかったせいで2秒くらいサムズアップしてニコリとしている飯窪さんの顔を無言で眺める謎の時間が出来てしまいました。その次が確か石田亜佑美さんで、石田さんにも同じセリフを言ったら「本当ですか?楽しかった?本当に?」と何故か俺が楽しかった事を疑われているようだったのですが俺は無言で小さく頷いただけだったのでもしかしたら楽しくなかったと思われたかもしれません。石田さん、俺めちゃめちゃ楽しかったです。その次の佐藤優樹さんはとにかく寒そうにしていたのですが、同じセリフを言ったところ小さく頷いてポーンと手を投げられたので「うむ!」と思いました。工藤遥さんとは全く内容の無い握手をしました。

 

とにかく寒さが凄かったのでそのままダッシュでバスに戻りバスの暖房で暖まりました。文明すげーーー!と思いました。すぐに酒を飲みたかったのですが、あいにくこの日は一日酒が補給できる機会が無かったので切らしてしまっていました。握手を全員が終えるまであと30分以上はかかりそうだったので、近所に酒が買える場所がないか少し歩いて探して見たのですが辺りには本当に何もなく、自販機で温かいコーヒーを買って喫煙所へ行きました。喫煙所は握手を終えて出てくる人達の列に近くだったので、出て来る人たちをボーッと見ながらタバコを吸いました。俺が握手した時は全然泣いていなかった工藤さんでしたが、後半はボロ泣きしていたらしく、握手から出てくる人たちも特に若い女の人は泣いている人が多かったように思います。結局全員が握手し終わったのは予想通り30分以上後で、俺はバスでボーっとしていたのですが、結局涙は出て来ませんでした。バスツアーが終わってもまだイベントが残っていたし、それにまだまだ、終わるという実感が無かったからだと思います。もしくは涙腺が壊れていて涙を分泌できなくなっているのかもしれません。帰りのバスでは前日に撮った写真が配られました。「家族写真」を見つめる俺の顔は「虹村父みたい」だと形容されました。
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蟪坝ぎ蟪

11/9の話はこれで終わりです。現在、バスツアー30日目の世界に俺は生きています。永遠に続くと思っていたバスツアーもブログを書き終えてしまう事で一区切りつこうとしています。俺は地獄から這い出して来世に向かわなければならないようです。まだまだ到底この輪廻から解脱出来そうにはないのです。バスツアーが終わってからの30日間にも「最後の個別握手会」や「最後のツアーホールラスト」などのイベントがあったのですが、結局俺はバスツアーのライブ中に脳に電極を刺されながら感じた工藤遥さんへの「謝罪と感謝」を繰り返し思うのみでした。

最後の個別握手会、泣いている工藤さんを見て言おうと思っていた無難なセリフが飛んだ俺から自然と出て来た言葉は「この数年、色々とご迷惑をおかけしたと思うんですけど、なんか、すんませんでした」という謝罪の言葉でした。これが自然に出て来たのは自分でもびっくりしましたが、バスツアー日記を書いてみたらある程度必然で出て来たのかなあ、と思いました。ホールラストでのMCで工藤遥さんは「皆さんも幸せになって下さい。頑張ってください。私も頑張ります」と言いました。幸せにならなければならないと思いました。きっと「最後の全員握手」も「最後のソロイベント」も、そして武道館の「アイドル工藤遥の最後」も、それを思うのだと思います。

孤独で寂しく愛がない生活を送っていた俺に、愛を教えて下さいました。はじめて見るそれの扱いが分からなくて戸惑い、困惑し、絶望してしまいました。人に優しくした経験も、優しくされた経験も乏しかった俺は、工藤さんの優しさを理解するまでにかなり時間がかかってしまいました。でもなんとかギリギリ、本当にギリギリ間に合いました。俺はこの世界にある「優しさ」をやっと信じられるようになりました。まだ半信半疑ではありますが。孤独なおじさんが孤独だからといってふさぎこんでいたらますます孤独になるだけなのです。孤独になるには色々な要因があるし、自分ではどうしようもないものもあるだろうし理不尽な事だってあると思います。人それぞれ理由があって孤独になっていると思うので、誰にでも通用する解決策は無いと思いますが、でも、確かな事は孤独だ孤独だと叫んでいてももっと孤独になるだけだ、という事です。すぐには変われないし、もしかしたら一生、本当には変われないかもしれないけれど、それでも「いつか工藤遥みたいな優しい人間になりたいな」と今ここで思えた事で、今後の人生が確実に少し変わるような気がしています。工藤遥さんがこれを天然でやったのか、あるいはある程度彼女なりの考えがあってやったのか、それとも、全て俺の勘違いで本当はそんな事工藤遥さんは微塵も思ってない、俺にだけ見えた幻なのか、どれなのかは少なくとも俺には確かめる事が出来ないのですが、しかし、そのどれであるのかはあまり関係ないと思うのです。俺は「俺が優しい人間になりたいな、と思ったきっかけが工藤遥さんだった」という事だけ胸に刻みつけておけばそれでいいのではないかと思うのです。

 

というワケで俺は最終的に工藤遥そのものになります!今は転生したばっかのよちよち歩きの赤ん坊なのですが、ここから驚異的な優しさの伸びを見せていきたいと思います!よろしくな!とりあえず乳児には母乳が必要なので吸わせてくれる方募集してます!ママーーー!!

10期バスツアー日記~地獄の底編~

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後 

 地獄の鬼

バスの席に着き「はー楽しかったなぁ…」と思いながら甲類カップに入れたお茶割りを飲むと生き返ったような心地になりました。先程までの夢を反芻しているとバスが走り出しましたが、どうも様子がおかしい。明らかに来た時とは別の方へ向かっているし、景色がどんどん森に近付いていきました。俺は思いましたね「やっと来たのか」と。やっと俺を迎えに地獄の鬼達がやって来たのです。バスはそのまま地獄へ向かい俺はそこで責め苦を受けるのだと。お茶割りを味わうのも最後かもしれないと思い、グっと口一杯に頬張りました。バスはホテルのような建物の前で止まりました。どうやらサプライズで10期メンバーによるお見送りがあるようでした。バスの両サイドに10期メンバーの皆さんが現れて手を振っていました。俺はなんとなく今生の別れ感があっていいな、と思いました。死地に赴く兵士のような顔をして手を振り替えそうと思ったのですが、「男」が今度は「お見送り会に異常な執念を燃やす男」になってしまい「うおーー!遥ーー!」などと言いながら窓からハコ乗りの体勢でブンブン手を振っていたので少し笑ってしまいました。この時にはバスにメンバーの方が乗り込んでくるというのもあったのですが、我々のバスには飯窪春菜さんが乗り込んできました。今日、飯窪さんに縁があるな、と思いました。

10期メンバーが見られた事で熱狂するバスはそのまま出発し、またキッカリ50分走りました。旅館に到着した時には既に22時くらいになっていました。流石に全体的にお疲れの方が多く、ズルズルとゾンビの列のように皆さん各々の部屋に帰っていくのが見えました。しかし、我々はここからが本番です。遂に何に気兼ねする事なくお酒が飲める時間がやって来たのです。まあ既に結構飲んでいましたが、しかしまだまだ宵の口、我々はコンビニに向かい大量の安アルコールと酒の肴を購入しました。手のひらに食い込むほど重いビニール袋をニコニコ笑顔で持ち帰り、その場で開けた酒を飲みながら「いやー!バスツアー、最高だな!」と道すがら言い続けました。旅館に戻ってすぐに部屋着に着替え「乾杯!バスツアー最高!」の掛け声と共に地獄の宴が始まりました。疲れも眠気も酒と夢で掻き消えてしまい、どんどん楽しくなっていきました。少し飲んでから温泉に入り、そこからまた飲み続けました。風呂帰りに廊下で出会ったドラゴンタトゥーの女が「若い女子ばっかりの部屋で酒を飲むのがツライ」と参加を表明して来たので大歓迎しました。我々の飲み会はただただ下らない事を言いながら酒を飲み続ける「酒至上主義」とでも言うべき、ある意味健全なモノなので女子が一人混じっても何の問題もありません。身体、主に肝臓周りの臓器には全く健全なものではありませんが。部屋は角部屋で他の部屋より広い作りのようでした。非常に宴会向きの部屋で快適に過ごせました。途中、勢いがついたので知り合いの女性の許可を得て、近くの女子の部屋に行ったりしたのですが、我々はベロンベロンに酔っ払っており、そして女子の部屋はベロンベロンに酔っ払っていても分かるほどの帰れオーラで充満していたので乾杯だけして即退散したりしました。高校生の頃の俺よ!安心しろ!結局女子の部屋に行っててもこうなってたぞ!お前は正しかった!何が修学旅行リベンジじゃ!今が青春ど真ん中!花の30代!毎日我武者羅に生きてるんだな!リベンジする必要なんてサラサラねぇんだよ!見ろ!この楽しそうな顔を!

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この写真の顔が物語っています。5ショットの表情より、こちらの方が断然遺影向きです。俺は地獄でこそ輝く笑顔で笑う人間なのだと思います。来世は地獄の鬼に生まれたい。結局宴は朝まで続き、俺が就寝したのは朝4時近くだったと思います。翌日は「朝8時過ぎにはバスに乗って下さい」という指示が出されていました。

地獄の部屋と空えずき

朝6時過ぎ、宴終了から2時間ほどで目が覚めてしまいました。二日酔いの症状はありませんでした。何故ならまだ酔っていたからです。二日酔いになどなるはずがありませんでした。一日酔いです。吐き気やめまい等も無く、体感的には良い目覚めでした。辺りを見回すと酒やペットボトル、つまみの空き袋などが散乱し、さながら地獄のような部屋になっていました。

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 ちなみに来た時の部屋はコレです。
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 そこから結局3度寝しちゃって急いで支度してすっぴん飛び出しバスに乗ろうかとも思ったのですが、そこは花の30代、一度目が覚めるともう2度寝も出来なくなってしまいました。身体がおじいちゃんに近付いてきているのです。仕方がないのでジジイらしく朝風呂にでも入ることにしました。この旅館には風呂が二箇所あり、名物ワイン風呂と露天風呂がついた大浴場があるようでした。前日の夜はワイン風呂に入ったので大浴場の方へ、キッチリ露天風呂にも入って、絶望するほど青い空を見上げました。浴室で歯を磨くとえげつない空嘔が出ましたが、幸い嘔吐には至りませんでした。こうやって人間の身体は死に近付いていくんだなあ、と実感しました。その後はせっかくなので朝食会場に行くことにしましたが、この日このホテルには他のツアーのお客さんもいたようで、朝食バイキング会場には行列が出来ていました。朝7時前からオタクとジジイとババアの行列に並ぶの嫌だな、と思ったのですがよく考えたら俺は「オタクのジジイ」なので並びました。おかゆと味噌汁とデザートのぶどうしか食べられませんでした。メシを食って部屋に帰ると同室のおじさん達もノソノソと起き上がりはじめており、朝食の時間に寝坊する事を見越して買っておいたパンなどをモソモソと食していました。俺は椅子に腰掛けてタバコを吸いながら「…朝八時出発、早いよな…」と言いました。同室のおじさんは無言でモソモソとパンを食べ続けていました。

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天は二物を与えず

あの地獄のような部屋からどのように這い出してバスに乗ったのかイマイチ記憶が定かで無いのですが、とにかく俺はいつの間にかバスに乗っており、気が付くと目的地に到着しておりました。この日は「山梨観光」というざっくりしたスケジュールが午後まで組まれているようでした。「ジャム作り体験」と「猿回しを見る」という2つのイベントが用意され、いくつかに分けられた号車ごとにそれぞれのイベントをこなす、というようなものでした。メンバーもそれぞれの場所に二人配置されており、誰がいるかは着いてからのお楽しみです、みたいな趣向だったと思います。確かそんなような事を行きのバス車内で聞いたような気がします。頭がボーっとしていたのであまり覚えていないのですが。我々は最初は「ジャム作り体験」をする事になりました。

 
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国道沿いによくある「ぶどう狩りできます」みたいな施設に大量のバスツアーの民が集められ砂糖とぶどうを煮詰めるようでした。施設のバーベキュー場のような所に歩いていくと入り口に佐藤優樹さんと石田亜佑美さんがおられました。石田亜佑美さんに「おはようございます」と寝ぼけた頭で言った所「眠そうw」と言われました。基本的に俺は石田亜佑美さんには語尾に芝を付けられて対応をされています。批判や文句では無いです。むしろそういう対応が一番好きです。ありがとうございます。ぶどうジャムを作る事になり、ぶどうジャム作りが大得意な婆さんから説明を受けました。とりあえず最初はぶどうから種を取り除く作業のようでした。「種無しぶどうを用意しろよ!」などと悪態をつきながら開始したその作業は、ぶどうを半分に割り、その中に5つほど入っている種を取り外し器に出し、種無しにしたモノを鍋に放り込んでいく、という意外と面倒なものでした。「何故我々は朝もはよからぶどうを割り続けているんだ…」そんなムードがテーブル全体に漂いましたが、どうやら俺は「ぶどうから種を外して鍋に放り込む作業」の才能を持って生まれたようで平均的な人の倍以上の早さで作業を終了させる事が出来ました。俺の天職、こんな所にあったのか。俺はぶどうの種を分離させる為にこの世に生を受けたのだ。これの為に今まで就職せずに来たのでしょう。運命です。俺はこれを仕事にする!世界を取るぜ!と思ったのですが、施設内のどこにもバイト募集のチラシは無かったし、仮にあったとしても「ぶどうの種を外し続ける」という仕事内容では無いでしょうから、俺は就職を諦める事にしました。天は二物を与えずと申します、俺に与えられた「ブツ」は「ぶどうの種を外す」という事なので、もうきっと他の才能は無いと思います。このブログを読んで「ぶどうの種が早く外せる人材を求めていたんだ!」という方がもしいらっしゃいましたらご連絡下さい。工藤遥さんが卒業したら働きます。

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ぶどうの種を外すのが異常に早くて自分のノルマ分を早々に達成してしまったため、俺はトイレに行って一服する事にしました。佐藤優樹さんと石田亜佑美さんが各テーブルを回ってレモン汁を入れたりおたまでかき混ぜたりしていたようでしたが、なにしろ席数が多いので我々のテーブルまではまだ来ないだろうと判断した為です。なかなか古びた趣のある施設だったので施設内を見学しながらトイレまで歩きました。バーベキュー場のような場所も併設してあり、食材購入でお手軽にバーベキュー風の焼肉を楽しめるようでした。トイレの前の喫煙所で一服してテーブルに戻る時に、まだ開店前で誰も居ない売店を通りがかった所「ビール」の表示が見えたので俺は反射的に「あっ、すいません、これって買えるんですか?」と近くにいた施設スタッフの高齢の女性に声をかけてしまいました。「あー、はいはい、今開けます」と言われてしまい、引っ込みがつかなくなったのですが、よく考えたら流石にここでビールを飲むのはマズイのではないか、と俺に一欠片残った人間の心が呟いたので「あ、じゃあジンジャーエールで」と言いました。5年ぶりくらいにジンジャーエールを購入してしまいました。ライブハウスのドリンクチケットでもらえるようなカップにお婆ちゃんがジンジャーエールを注いでくれました。いつの間にか近くに居た同室のおじさんもコーラを購入していました。おじさん二人がコーラとジンジャーエールのプラカップを持ってジャム作りの現場にノソノソと戻りました。基本的にこのジャム作りはぶどうの種を取ってしまえば後は適当にかき混ぜながら煮詰まるのを待つだけなので特にもうやる事は無く、俺はテーブルを忙しそうに回る佐藤優樹さんや石田亜佑美さんを見ていました。この頃になると感覚が麻痺して来ていて、そこら辺を10期メンバーが歩いている事自体には特に驚かなくなっていました。これでビールでも飲めたら最高なんだけどな、やっぱりさっきのババアから買っとけば良かった、と思いました。しばらくそうやってグツグツと煮込まれていくぶどうを見ていると、我々のテーブルに石田亜佑美さんがやって来ました。石田亜佑美さんは持っていたおたまで鍋をグリグリかき混ぜ「(私がかき混ぜたので)これで美味しくなる」みたいな事を言っていました。俺は「うむ」と心の中で思いながら微笑をたたえて石田亜佑美さんを見ていました。すると、先程一緒にコーラを買った同室のおじさんが「それ何飲んでんの?」と石田亜佑美さんに聞かれておりました。何かを飲んでいるオタクが一人も居なかったので気になったのだと思います。確かにあの場を離れて飲み物買っているヤツはそんなに居ないと思います。聞かれたおじさんは「コーラ」とぶっきらぼうに答えていました。俺の友人のおじさんは全員メンタルが小学生なので可愛い女の子に声をかけられるとかっこつけてぶっきらぼうになってしまうのです。石田さんは「え、いいな」と答えていました。それを見ていたまた別のおじさんが「石田さんはコーラ好きですか?!石田さんはコーラ好きですか!?」と聞いていました。俺の友人のおじさんはメンタルが小学生なのでたまに小学生レベルのバカになってしまうのです。「石田さんはコーラ…あんまり…骨が溶けるから…」と答えていました。昭和か!と思ったので俺は「じゃあジンジャーエールは?」と聞きました。「ジンジャーエールは好き、うわ、それも何飲んでるの?」と言われたので「ジンジャーエール」とぶっきらぼうに答えました。そう、俺ももちろんメンタルが小学生だったのです。よく分からない空気に包まれた我々のテーブルに耐えかねたのか、はたまた単純に時間が無かったのか、石田さんはササっと鍋をかき混ぜて次のテーブルへ行きました。

佐藤優樹さんが来た時には先に佐藤優樹さんが回って来ていた隣のテーブルにいた「ゴリラ」がこちらのテーブルに飛び移ってきてゴリラ顔で鍋をかき混ぜ続ける、という行為に走っていたので佐藤優樹さんが「ん…?ここ一回来た?」と言ってしまっていました。可愛かったです。「違うんだよ!このゴリラがそこから移動して来たんだよ!」と言ったら「あー!オイー!」みたいに言っていました。結局佐藤優樹さんはその後すぐにスーっとどこかへ行ってしまったので、我々のテーブルの佐藤優樹分は全て「ゴリラ」に持って行かれてしまいました。「ゴリラ」許すまじ。俺の文章では全然伝わっていないような気がして不安なのですが、ジャム作りは非常に楽しいイベントでした。佐藤優樹さんはキャーキャー楽しそうにしているし石田亜佑美さんも面白いし、その二人が普通にそこら辺歩いてるのも「そう、これだよ、コレがバスツアーって感じ、する」という気分になれて良かったです。

そうこうしている内にタイムリミットが近付いてきていたようで、というかおそらく少し押してたような感じで、まだ全然煮詰まっていない液体を「じゃあもう瓶に詰めちゃって下さい!大丈夫なんで!詰めちゃって大丈夫なんで!」とオトナに適当に指示されながら我々はぶどうの煮汁を瓶に詰め、来た時と同様、二人に出口で見送られながらバスへと戻ったのです、懐にホカホカのぶどうジャムを入れて。

おもてたんと違う

ホカホカの心とジャムを懐に抱えてバスはまた走り出しました。次の目的地まではまた小一時間走るようでした。次の猿回しの会場には工藤遥さんと飯窪春菜さんがいるという事で多少の緊張が走りました。そして寝不足による膀胱の弱りでまたお小水したくなったらどうしようという緊張も同時に走っていました。猿回し会場に着いた時にはお小水感がギリギリ目一杯だったのですが、バスが停まった駐車場にはトイレが無く、俺は仕方なく会場入り口のトイレに小走りで向かいました。毎度毎度新たな場所に着くとトイレに駆け込み入場に遅れました。猿回しの会場でも少し遅れて焦りながら入場したのですが、途中で列が二手に分かれており、明らかに混んでいる入場口と空いている入場口がありました。俺は遅れて焦っていたので当然空いている入場口を選んだのですが、案の定そこには飯窪春菜さんがおり、お出迎えをしていました。混んでいる列の方の入り口には工藤遥さんがいました。なるほど!そういう事だったのね!と思いましたが、俺は別に飯窪さんも好きだし、工藤遥さんにお出迎えされた所で俺はどうせ顔も見れずに下を向いて「チャッス」としか言えないのでそのまま入場しました。

半円形のホールに広い舞台のある建物に事前に渡された番号で座るようでした。俺は自分の列から離れた所に居たため「すいません、すいません」と言いながらヌルヌルと自分の席を目指しました。「ジャム作りは凄く楽しかったから猿回しも楽しみだなあ、工藤さんに猿として回されたいなあ」などと思いながら楽しみに待ちました。工藤遥さんと飯窪春菜さんが舞台に出て来て猿回しをする人達も二人ほど出て来ました。そして挨拶を終えると工藤遥さんと飯窪春菜さんは舞台から降り、最前列に座りました。「えっ!?おもてたんと違う!」と思いました。その後はごく普通の猿回しショーを結構な長尺で見ました。途中工藤さんや飯窪さんが少し舞台に上がる事もありましたが、基本的には普通に猿回しを見ました。いやね、別に欧米人みたいに「猿はそんな事したがってないだろ!動物虐待だ!」などと本気で言う気は無いですし、小猿可愛かったですけどね、でもですね、猿回し見たかったら自分で猿回し見に行くじゃないですか。俺は工藤遥さんが見たかったんですよ!出来れば工藤遥さんに猿として回されたかったんですよ!中島回しして欲しかったんですよ!俺ずっと猿回しショーやってる時最前列の工藤遥が猿回し見てる後頭部見てましたからね!まあ!それはそれで!なんか良かったけど!「スクールカースト上位の女の子を好きになった冴えない中学生男子が授業中に後ろの席から見つめてる」みたいな気分になれて楽しかったです!おもてたんとは違うけど!

あ、会場の周りの景色が綺麗でした。

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幸せの丘ありあんす

幸せの丘ありあんすという施設を知っているでしょうか?俺は知りません。実際に行った今でもあれがなんだったのかよく分からないのです。
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 俺達はその「幸せの丘ありあんす」で昼食をとる事になっているようでした。猿回しの会場から1時間ほどバスに乗っていました。2日間朝から晩まで、どこに行くにもキッカリ1時間バスに乗っていると感覚がおかしくなりそうでした。ありあんすエントランスの謎オブジェや田舎の山中に急に建つ宗教施設めいた大きな建物にニヤニヤしながら、言われるがままに屋内に入るとそこには「石原軍団かよ!」というくらい大きな鍋一杯のほうとうと謎の一人用鍋、ご飯、ボウルに盛られた大量のサラダなどが用意されていました。特になんの説明も無くヌルっと適当に席に座らされ、何故か不機嫌なおばさんのパートがほうとうを小分けにしている様を数分眺めさせられました。とはいえ、ここまで補給はジャム作りの時につまみ食いしたぶどうのみ、自販機でジュースを買うのも躊躇われるほどの強行日程で行軍してきた我々は腹が減っていました。はじまりの合図も終わりの合図もありませんでしたが皆各々の判断で食事を始めているようでした。俺は昨日の夜から野菜不足を感じていたのでサラダを三杯おかわりしました。昨日の夜も食ったほうとうは二杯に止めました。メシを食い終わったら一服するかと思っていたのですが、唯一案内されていたバスの出発時間まで20分ほどしか残っていませんでした。本当にゆっくりする時間が全然ない日程でした。それを「予定が詰まっていてお得で良い」という方がいるのも分かりますが、なにぶん普段旅行する時はゆるゆるの予定を立てて適当に酒飲んで風呂入ったり行きたくなった所へ行く、みたいなのしかやった事がないため、非常に窮屈に思えました。

仕方がないのでペットボトルのお茶を買って、少し散歩しましたが、本当にぶどう畑と道以外に何もなく、途方に暮れた我々は同じように途方に暮れている一人ヲタのおじさんを眺めながら遠い目で山々を眺めました。バスツアーの次の目的地はコンサート会場。三途の川を渡るバスツアーもそろそろ終焉が近いようでした。カラっと晴れた秋晴れの空が、何故かその日は少し悲しく見えたのです。一人ヲタのおじさんも心なしか悲しそうな顔をしていました。<つづけ>

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 10期バスツアー日記~三途の遊園地編~

前 10期バスツアー日記~賽の河原編~ - 🍣

後 10期バスツアー日記~地獄の底編~ - 🍣

FUJIYAMA

「富士急ハイランドに異常な執念を燃やす男(以下単に「男」と表記する)」に先導されて俺と同室のおじさん3人はFUJIYAMAの前までやって来ました。まだ他のオタクはあまり園内に入っておらず、かなり最初の方に着いたようでした。この夜の富士急イベントをざっくり説明しますと「10期メンバーがそれぞれ決められたタイムスケジュールで色んな場所に現れるのでお好みのメンバーやアトラクションを楽しんでね!」というモノでした。なんだそれは、夢か。夢なんだけど。我々が着いた時、FUJIYAMAの入り口前には飯窪春菜さんがポツンと一人で立っており、その周りにスタッフやおそらくDVD用の映像カメラマンが3人ほど居ました。他の場所で待機予定の石田亜佑美さんも場所移動中でFUJIYAMAの前におり少し話せました。夜の遊園地に普通に10期メンバーがおり、不思議な気持ちになりましたが、あまりに不思議過ぎてちょっと現実感が無くなってしまい逆に普通に話すことが出来ました。夢を夢だと認識出来たのでなんでも出来たのです。明晰夢。「男」は「ちょっと待って下さい、この状況めちゃめちゃオイシイじゃないですか!」などと言いながら一直線にFUJIYAMAに乗りに行ったので俺も続きました。飯窪春菜さんは「え!?最初からFUJIYAMA乗るなんてすごくないですかー?えー、すごーい」などと言っていたような気がします。石田亜佑美さんとは何を話したのか忘れましたが一言二言何かを話した覚えがあります。なにぶん夢なので細部をあまり覚えていません。入り口で飯窪春菜さんに見送られた後はごく普通にFUJIYAMAに乗りました。他のバスツアー参加者の方々は目当てのメンバーを追いかけるスタイルの方が多い印象で「絶叫マシーンを全種類制覇しながら誰でもいいからメンバーと喋る」という「男」のような目標を持った人間や「特に何も考えていない」俺のような人間は少ないようでした。10期メンバーのバスツアーなので当たり前と言えば当たり前なのですが。普段は行列が出来るFUJIYAMAにも人はあまり来ず非常に快適に乗り込む事が出来ました。ハイタッチで係員に見送られてすぐに下を歩くバスツアーの民達が見えたのでそちらに向かって「いえーーい!」などと言いました。よく分からないのですがテンションが上がってきていたのです。ジリジリと最高点へ向かうFUJIYAMAからはただ光るアトラクションや駐車場が見えるだけで、景色は明るい内の方が綺麗なようでした。しかし、そんな事は関係ありません。俺は暗闇に向かって「いえーーい!ハルちゃーーん!俺だーー!」と叫びました。全員10期バスツアーに来た人なのでFUJIYAMA全体がなんとなく「ニヤリ」としていました。後ろに乗っていた同室の酔っぱらいは最高点付近に近付くにつれて「いやー!怖いなー!これ!思ったより怖くなってきてるな!俺!怖くなっちゃって来てる感じだなー!」と笑いながら言い、横に座った「男」は「フゥー!」と言っていました。FUJIYAMAはとにかく長かったです。「オイ!この道さっきも通ったんじゃないの!?いえーーーい!」と思わず絶叫するほどグルングルン同じような仕掛けが長時間続きました。楽しかったです。

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高飛車

 FUJIYAMAから降りると入り口の飯窪さんの周りに数人おり、飯窪さんと会話しているようでした。俺は「FUJIYAMA最高でしたー!」みたいな事を言ってスッと通り過ぎました。「男」は「さあ!次行きましょう!次は高飛車に工藤ちゃん来るから!これ!」と言いながらズンズン進んでいきました。「男」の言葉を聞いてそういえばまだ工藤遥さんを遊園地で見ていない事を思い出したので俺は少し寄り道をして工藤遥さんが最初に行っていたトークショーを見ました。「トークショーを見るよりまずはFUJIYAMAに乗った方が効率いいですよ!」という「男」の提案でそうしたのですが、やはり工藤遥ヲタの多くはこちらの方を見に来ていたようでかなりの人だかりが出来ていました。遠くの方で工藤遥さんが話しているのが少しだけ見えました。少しだけ見えて満足したので高飛車に向かいました。高飛車の前には既に列が出来ていましたが、どうやら乗り物の列では無く「工藤遥さんが身長検査ゾーンに来たら優先的に行ける列」みたいなものが形成されているようでした。工藤遥さんがトークショーを終えてこちらに来るまでもうそんなに時間が無かったので我々はそこで待つ事にしました。高飛車自体には乗れたので、知り合いの「ゴリラに似た絶叫マシーン大好きおじさん(以下単に「ゴリラ」と表記する)」は俺が工藤遥を待っている間に3回くらい高飛車に乗車していました。

しばらく列で待っていると通路の向こうから人のカタマリが移動してくるのが見えました。トークショーを終えた工藤遥さんとそれを追う一団がこちらへ向かって来て、そして中途半端な所で止まりました。工藤遥さんはどこかで買ったアイスクリームを食べていました。どこからか「かわいーー!」という絶叫が聞こえました。工藤遥さんは「いや、アイス食べてるだけだよ!?」と言っておられて、そのセリフにより更に可愛くなってしまっていました。俺は口をグッと真一文字に結び「ぐぬぬ」みたいな顔で可愛さに耐えていました。可愛さというものは我々ガチ恋おじさんにとって「耐えるモノ」なのです。隣に居た「男」は「あいつアイスクリームなんか食ってないで早くアトラクションに来いよ!次のアトラクションに並ばなきゃなんねーんだよ!遊びじゃねぇんだよ!」みたいな事を言っていました。一応「男」も工藤遥ヲタなのですが、そろそろ何を言っているのか分からなくなってきていました。「上野動物園のパンダを見る人々とパンダ」みたいになっていた工藤遥さんはしばらくしてやっと高飛車の入り口に立ち、我々は見送られながら高飛車に入場しました。この時に何かを俺は工藤遥さんに向かって発声したような気がするのですが、あまりよく覚えていません。そんなに大した事は言ってないと思います。なんか「チャッス」みたいなそういうヤツだったと思います。当然工藤遥さんも会釈をしただけだったような覚えがあります。…明晰夢じゃなかったのかよ!夢の中なんだから!ほら!もっと!なんかさあ!と自分でも思わない事はないですが、しかし、夢は記憶の整理なのだと聞いたことがあります。普段こんな感じ過ぎるので夢の中ですらこんな感じだったんだと思います。高飛車は90度直角に登る部分が多少グっと来ただけでその他は絶叫が苦手な人でも乗れるようなソフトな作りで乗りやすかったです。90度登ってる時に隣に座っていた「工藤遥が居たので今まで敬遠していた絶叫マシーンにホイホイはじめて乗った男」が「嫌だ!降りたい!帰りたい!」と言っていたのでゲラゲラ笑いました。楽しかったです。


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マッドマウス

高飛車から「いやー!楽しかったー!」と大はしゃぎで降りてきた我々は高飛車の入り口にまだいる工藤さんを少し見ました。どうやらもう高飛車に乗りたい人が居なくなったようで(バスツアー参加者の絶叫マシーンが嫌いな方の割合がそこそこ高かった印象でした)、ただ工藤遥の周りにいるだけになった人々に向けて「いや!乗ろうよ!ねぇ!乗ろ!」と促しているようでした。可愛かったです。ちなみに工藤遥さんは絶叫マシーンが大好きなのです。俺は全然乗っても良かったのですが、どうせ「チャッス」とか言ってもう一度マシーンにグリングリンされるだけだし、「男」がええじゃないかに並びに行くようだったのでそちらに着いていく事にしました。ええじゃないかにも乗りたかったし石田亜佑美さんも見たかったからです。あと、工藤遥さんの可愛さに耐えきれなくなりそうだったからです。複雑なおじさん心を抱えて俺はええじゃないかを目指しましたが、ええじゃないかは構造上乗るまでに時間がかかるようで行列が出来ているという情報を途中で得ました。ええじゃないかは前に来た時乗ったし、行列に並ぶのが何より嫌いなので俺は適当な場所でボーっとする事にしました。「バルーンアート」という謎の催し物が行われていたステージ付近に喫煙所を見つけたのでそこでボーっとする事にしました。バルーンアートのステージにはこの後工藤遥さんが来るようで場所取りをしている工藤ヲタの姿も散見されましたが、俺はさして「良い席」みたいなものに興味が無いので喫煙所でボーっとしました。ボーっとしていると工藤遥さんがバルーンアートステージ裏の「マッドマウス」というANTHRAXの曲名っぽい乗り物に乗っているようだという激アツ情報が飛び込んで来ました。俺はマッドマウスに一目散に歩いていきました。マネージャーを隣に乗せて映像を撮られながらスタート地点に戻ってくる工藤遥さんが見れました。俺はそれをニヤニヤと見つめ、バルーンアートステージに行く工藤遥さんの後ろ姿見て、また喫煙所に帰り虚空を見つめ「バスツアー、最高だな…」と呟きました。

バルーンアートステージで何をやっていたのかよく分からないのですが、バルーンアートを工藤遥がやっている最中は当然のことならマッドマウスがガラ空きだったので、俺はバルーンアートをしている工藤遥の背後でアトラクションに乗ることにしました。知り合いのおじさんとぎゅうぎゅう詰めで小さなコースターに乗り「痛い痛い痛い!曲がる時ガンッ!ってなって腰が痛い!」と絶叫しました。実際本当に痛かったです。FUJIYAMAより痛かったです。富士急ハイランド最痛マシーン、マッドマウス。かなり腰に負担がかかりました。マッドマウス終わりで喫煙所にマッタリしに行こうとしていると佐藤優樹さんがフラフラとやって来てマッドマウスに興味を示していました。乗ろうとして出口から入ろうとしていたので「あ、そこ出口っすよ」と普通に言ったら「・・・クッ」となってイー!みたいな顔を向けて来ました。可愛かったです。俺達が乗った後、工藤遥さんと佐藤優樹さんが同じヤツに乗ったらしいのですが、佐藤優樹さんの腰が心配になりました。楽しかったです。


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ド・ドドンパ

喫煙所でくつろいでいるとええじゃないかに乗ろうとしていた「男」が戻ってきました。どうやらやはり並びすぎていて制限時間内に乗れなそう、という事で次のアトラクションに向かうようでした。工藤遥さんはこの時空中ブランコみたいなヤツからフリーフォールみたいなヤツ、というタイムスケジュールだったのですが既に長蛇の列が出来ており、無理だと判断した我々は4大アトラクションの一つであるド・ドドンパに向かう事にしました。喫煙所が空中ブランコに近かったので工藤ヲタがたくさん居たのですが、その中に列から少し離れたベンチで暇そうに携帯をイジる、バスの中でスナックに食いついていたタトゥーの女性を見つけました。あまりに暇そうにしていたので「あ、俺達ドドンパみたいなのに乗り行くんですけど、行きます?」と言いました。即答で「行く!」と答えたので一緒にドドンパに乗りに行く事にしました。ド・ドドンパには飯窪さんがスタート地点にいる事になっているようでした。少し並んで乗り込むと確かに飯窪春菜さんがスタート地点におりました。この頃になると10期メンバーがそこら辺にいる事に多少慣れ始めて来ており「えー飯窪さんこれ乗った事あるんですか?へぇー、どうなんすかコレ?」みたいな感じで近所のコンビニの店員と話す感じになっていました。飯窪さんは「これは私でも大丈夫でしたよー」みたいな事とかを言っていたと思います。ド・ドドンパはビュンッってなってグワングワンとちょっとして帰宅、みたいな感じで確かに大丈夫でした。内臓フワッ感が一番無いので内臓フワ嫌いの俺は4大アトラクションの中では一番乗りやすいと思いました。ド・ドドンパを出たらも既に終了時間の15分前、とかになっていて俺は一足先にバスに戻る事にしました。「男」ともう一人のおじさんは「いや!もう一個行けます!もう一個行けますって!メンバーは来ないけどもうワン絶叫行けますって!」と言いながら本当にもうワン絶叫しに行きました。楽しかったです。

と、ここまで書いてきて自分では初めて気が付いたのですが、これではまるで俺が工藤遥のイベントから逃げるように移動しているみたいにしか見えないじゃないですか。当時から「あんまり工藤遥に出会わなかったなー」くらいには思っていたのですが、当然です、工藤遥の出現するスポットに出向いていないのですから。何故このような行動になったのか考え直してみると、俺はあくまで「夜の遊園地に来たら偶然工藤遥が居た」というような状況を求めていたのではないか、という身の毛もよだつ結論に辿り着いてしまいました。工藤遥を追ったり、工藤遥の出現ポイントで待ち構えていたりすれば当然見られるけれども、でもそれを俺は求めていなかったのはないか。あくまで「俺が普通に富士急ハイランドを楽しんでいる所」に「たまたま工藤遥も遊んでいる」状況を求めていたのではないか。だから「敢えて」工藤遥の出現ポイントを外して回っていたのではないか。ハイパー気持ち悪いのであまり認めたくないのですが、今自分で物凄く納得してしまったのでおそらく合っているのだと思います。マッドマウスでの遭遇が一番テンションが上がった事を考え合わせても、おそらく間違いありません。「この期に及んでまだ斜に構えるのか」とお思いの方もいらっしゃると思いますが、もはやここまで来るとこれは「斜」では無くこれが俺にとっての「正面」なのでしょう。俺は工藤遥と夜の遊園地で遊びたかった、ただそれだけだったんです。


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 三途の川を渡るバス

俺が初めてジェットコースターに乗った小学校低学年の頃、あの時の親父は今の俺と同じくらいの歳だったはずです。親父、俺はアイドルのバスツアーで遊園地に行ったよ。あの頃以来のジェットコースターにも乗った。あの時のあなたとの共通点は酔っ払ってたって事くらいかな。情けなく思いますか?

でもね、親父、俺は俺なりに真摯に人生に向き合っているつもりで、これは俺の人生に必要なバスツアーだと思ったんだ。実はあの時のあなたとの共通点がもう一つあって、それは「そこに大好きな人と一緒に行った」って事なんだ。心配かけてるのは分かってるし、申し訳なくも思うけど、俺はこういう風にしか生きてこれなかった。後悔はしていないし、人様に迷惑だって出来る限りかけていないつもりだ。婆ちゃんの法事で今年の年末は久々に家に帰るからさ、その時は俺がジェットコースターにはじめて乗った時の話でもしながら深酒をしよう。あの親父のカッコ悪い絶叫の話をして、ゲラゲラ笑いながら焼酎でも飲もうよ。

 

 遊園地の外に出ると、三途の川を渡るバスがキラキラと光っていました。俺はそのバスに乗り込んで、三途の川を渡り地獄へと向かう事になるのです。<つづけ>

  
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10期バスツアー日記~賽の河原編~

前 10期バスツアー日記~生前の記憶編~ - 🍣

後 10期バスツアー日記~三途の遊園地編~ - 🍣

夢

宴会場の時点でビール瓶で頭をかち割られた俺は意識を失い、そのまま死んでしまいました。ここから先は死人の見る夢です。「富士急ハイランドに異常な執念を燃やす男」に部屋を連れ出された俺達は焼酎カップを片手にのそのそと部屋を出てバスに乗り込みました。宴会場でビールが提供されたということは酒を飲むのはオッケーなのだろう、という判断です。そこら辺はグレーゾーンなのでしょうが、お茶割りをチビチビやりました。暗い夜道を走るバスでは10期メンバーが事前に録ったと思われる映像が流れました。言い忘れていましたが、これは行きのバスから事あるごとに流れておりました。俺はずっとボーっと見ていたので詳細は覚えていません。ただ、2日目以降に佐藤優樹さんがおそらくはまとめ撮りされたであろう長い収録に完全に飽きている様子がそのまま流れており「さっすがまーちゃんだぜ!」というような事を思った覚えはあります。ともかく、俺は疲れと酔いでボーッとする頭を抱えて工藤遥さんが話しているのをバス備え付けの小さなモニターで見ていました。バスはそのまま50分ほど走り、夕方まで居た場所に戻りました。「富士急が貸し切りになっている」という情報は確か我々の乗ったバスでは富士急に向かう車内で発表されたのだと記憶しています。曖昧な記憶なので間違っているかもしれませんが、少なくとも俺はその時に知り「あれ?もしかしてこれは夢なのでは?」と思い始めました。「夜の遊園地を貸し切り」なんてロマンチックな事をアップフロントさんがやるワケがない「完全に俺達は騙されている。これから山中に放置されて殺し合いが始まるんじゃないだろうか。支給アイテムにサブマシンガンが入っていますように…」と思いました。実際は本当に夜の遊園地を貸し切ってあったので「え!すごい!アップフロントちゃんスゴイ!」と思いました。極悪なヒモがたまに見せる優しさに感動してしまって縁を切れないデリヘル嬢みたいな気分になりました。

マラソンランナーが給水所に飛び込むスピードで

我々の乗ったバスは遅い方の到着だったようで、既に富士急ハイランドの駐車場には20台以上のバスが並んでいました。当然といえば当然ですが、20台のバスが一気に駐車出来る場所は限られているので、実際にバスツアーに行っても全台集合しているのを見たのは、この富士急ハイランドと翌日の河口湖ステラシアターだけでした。大型バスが20台も並んでいるのは壮観な光景で、なんとなくアトラクション感がありました。が、そんな光景を楽しんでいる場合では無く、俺は案の定お小水がしたくなっていました。順番にバスごとに列に並んで入場するようだったのですが、このままではダムが決壊してしまう!と思い、闇に紛れて昼にも駆け込んだ駐車場のトイレに駆け込みました。闇夜を切り裂く一筋のお小水おじさんの閃光。闇を駆け抜け抜け駆け許さない。ショウスイオショウスイオショウスイおじさんズ。

なんとかトイレには間に合ったのですが、入り口に戻ると既に全員入場しており慌てて小走りでスタッフの立っている催し物ホールのような場所を駆け抜けたら、入り口に10期メンバーが立っており何かを配っていました。あまりに予想外の出来事だったのでマラソンランナーが給水所を通るスピードで入り口を通り抜けてしまい「うぉっつ、はい!え!?はい!」と確か飯窪春菜さんか佐藤優樹さんに言ったような記憶があります。あまり覚えていませんが。稲葉貴子さんがバースデーイベントでモギリをしてる時のような気分になりました。マラソンランナーが給水所に飛び込むスピードでメンバーの横を駆け抜けた先には体育館のような空間が広がっていました。そこに1000人を超えるオタクが集められ号車ごとに整列させられていました。なんという修学旅行感でしょう、と思いながらそのまま自分の号車の最後尾に並ぼうとしたところ「番号順、番号順に並ぶんだって!」と誰かに言われてそのまま最前列まで行かされてしまいました。オタク、真面目か!遅刻したヤツなんて後ろでいいんだよ!と思いながらよく聞いてみると昼間に写真を撮る時に振られた番号順に並べ、という指示が出されているようでした。俺は2番目に写真を撮ったので2番、我々の号車は全24台中ちょうど真ん中の12号車、気が付くと俺は2列目最中で10期メンバーの乗ったステージを見上げる事になっていました。ほろ酔いお小水おじさん、身分不相応な立ち位置にビビるの巻。体育館のステージ上で話す10期メンバーを見ているとなんだか文化祭を見ている気分になりボーっとしていると「ねぇ!後ろに背が小さい子いるんだからちょっとズレてよ!」と知り合いの妙齢の女性に小言を言われました。俺はちょっとズレました。そういえば、リアル中高生時代から委員長タイプの真面目な人にはよく怒られてたなあ、と思い出しながら。この時に10期メンバーが何を喋ったのかあまり覚えていないのですが「行くぞー!おー!あとお前ら絶対走るなよ!」みたいな会だったんだと思います、確か。ボーっとステージを見上げているうちに集会は終了し、俺はボーっとしたまま歩き出しました。どこへ歩き出しているのかもよく分からなかったのですが、とにかく歩き出しました。いつの間にかトボトボと歩く俺の横には「富士急ハイランドに異常な執念を燃やす男(以下単に「男」と表記する)」がおり「さあ!中島さん!行きましょう!まずはフジヤマです!ここ!飯窪いますから!飯窪!」とフルマックスのテンションで夜の富士急ハイランドに競歩のスピードで向かっていました。「走るな」という注意は厳守しており、すごいなあ、と思いました。

遊園地と工藤遥と私

遊園地とは縁遠い人生を歩んできました。俺がはじめて絶叫マシーンに乗ったのは確か小学校低学年の時、家族で行った遊園地のジェットコースターだったと思います。母親と妹とは別行動をして、酔っ払った親父とフラフラ園内を歩いていたらいつのまにかジェットコースターに乗っていたんだと記憶しています。そもそも親父が酔っててあんまりなんなのか分かっておらず「おい!なんかこの建物涼しいしあれ乗ろう!屋内じゃしジェットコースターじゃねぇじゃろ!ワハハ!」みたいなノリで乗ったら屋内型のジェットコースターだった、みたいな話だったと思います。当時から無駄に身体だけはデカかったので身長制限も余裕でクリアしてしまい人生初ジェットコースターに乗るハメになってしまったのです。ジェットコースターだと思わず乗ってしまったので「これジェットコースターじゃねぇか!親父めええええ!」という恐怖はありましたが、全然耐えられたのでまあこんなもんか、という感想でした。小学校低学年くらいが俺の一番知的で落ち着いた時期だったのです。しかし、親父は「うおーーー!ひぃーーー!ごぼぉーー!」みたいな、気持ちいいくらいかっこ悪い絶叫の仕方をしており、それが脳裏にこびりついたので「絶叫マシーンは乗れるけど今後はあんまり乗りたくないな、かっこ悪いし」と思いました。まあ、そのような心配をするまでも無く、思春期から大学を卒業するまで俺には「遊園地行こうぜ!」みたいな事をいう友達も、遊園地に一緒に行く恋人も出来なかったので自然な流れで絶叫マシーンに乗る事はあまりありませんでした。何度か付き合いで乗りましたが「別に平気だしちょっと内臓フワっとするし乗らずに済むならそれがいいな」という感想を持っていました。まともに自分の意志で絶叫マシーンに乗ったのは工藤遥さんが戦慄迷宮に入れなくて泣いたDVD(ハロー!チャンネル the DVD Vol.8)が出た後、それの再現をしに富士急ハイランドに行った時でした。工藤遥さんが異常に可愛いこのDVDの再現をしにわざわざ富士急ハイランドまで行ったのです。当時13歳の工藤遥さんがお化け屋敷に入りたくなくて泣いたり、ええじゃないかに満面の笑みで乗ったりする国宝級のDVDです。皆さん是非見て下さい、泣けます。そこで「ハルちゃーーん!!」などと絶叫しながら乗ったええじゃないかは存外に楽しく、工藤遥ってすごいなあ、と思ったのを覚えています。そのあたりからなのでしょうか、俺が人間としての気持ちを取り戻し始めたのは。工藤遥さんが俺に人の心をくれたのです。

 

俺がまだ、ガチ恋おじさんになる前の話です。富士急ハイランドの入場口にズンズン進んでいく「男」に着いていきながら、淀んでいく頭で昔の事を思い出していました。数分歩くと、入り口とライトアップされたアトラクションが見え、なんとなく少しテンションが上がりました。ああ、やっぱりこれは死ぬ間際に見る走馬灯なのだろう。親より先に死んだ俺は、この遊園地で小石を積み続けるのだ。工藤遥の思い出と共に<つづけ>